少年タケシ

はじめてのDIY


あらためてアンダーグランドなポピュラー音楽史を考える:ミック・ファレン、ポストパンク、そして、アーサー・ラッセル
2010年06月28日


ここに来て、60年代から70年代のポピュラー音楽の歴史を捉えなおす本が立て続けに翻訳された。60年代といえば、もう半世紀近く前の遠い昔の出来事になりつつある。けれども、デジタル化が進み、音楽産業が質的な転換を迫られている今、「そもそも音楽の魅力とは何だったのか」を問い直す時期に来ている。メインストリームとは異なる、これまであまり描かれてこなかったポピュラー音楽史を見直すことは、2010年代の今後の音楽シーンを占うヒントになると思うので、まとめて紹介しておこう。

まず、一冊目は、ミック・ファレンの『アナキストに煙草を』である。ミック・ファレンは、パンクをある種先取りした60年代のサイケデリック・バンド「デヴィアンツ」のリーダーとしても知られる音楽ジャーナリストである。イギリス人らしい独特の屈折した――サカスティックな――文体に彩られたこの本は、自らの60年代のサイケデリック・ヒッピーライフを中心に、もうひとつのイギリスの音楽史を語ったもの。

ジャック・ケルアックやウイリアム・バロウズなどのビート文学やボブ・ディランに代表されるアメリカのロック文化が、ロンドンにどのように受け入れられ、独自の発展をしていったかが、よくわかる。ドラッグにまみれたその生活はどこまでもハチャメチャなのだが、その一方で、その感性は中学生のように青々しく、純粋で、時に痛ましい。70年代以降に商業化されたロックが、その創世記において持っていた政治や他の領域の文化との交錯点をいかに失ってしまったかということをあらためて思い起こさせる。

二冊目は、サイモン・レイノルズの『ポストパンク・ジェネレーション:1978‐1984』。セックス・ピストルズ解散後にジョン・ライドンが結成した「パブリック・イメージ・リミティッド(PIL)」以降数年間の実験的な音楽シーンを「ポストパンク」として括り、当時の雑誌や当事者の証言などから詳細に再構成した本だ。スクリッティ・ポリッティ、フライング・リザーズ、キャバレー・ヴォルテール、DNA、ジェームズ・チャンス&ザ・コントーションズ、スロッビング・グリッセル……。私自身が同時代的に経験した音楽がその当時持っていた「過激」で「革命的」な雰囲気が、生き生きと再現されている。

そして、最後に紹介したいのは、ニューヨークの奇才アーサー・ラッセルの伝記的研究書、ティム・ローレンスの『アーサー・ラッセル:ニューヨーク、音楽、その大いなる冒険』。

アーサー・ラッセルと言っても知らない人の方が多いかもしれない。こう紹介している私も、実は初期のアンダーグラウンド・ディスコ・シーンで活躍した奇妙な実験的ミュージシャンという以上の知識をこの本を読むまでは持っていなかった。

実際にこの本を読むと、ラッセルと彼を取り巻く70年代の文化シーンが、その後の実験音楽(とりわけミニマル音楽)と現代美術、ドラッグ・カルチャーそしてディスコ/ゲイ/ハウス・カルチャーの生成の場だったことに驚かされる。アーサー・ラッセルは、70年代前半にクラシックの演奏者としてニューヨークの実験音楽の拠点だったザ・キッチンの音楽監督を務め、フィリップ・グラスなどの作品収録を行う一方で、ボブ・ブランクやフランソワ・ケヴォーキアン、ラリー・レヴァンなど、先駆的なエンジニア、プロデューサー、DJと協力しながらディスコ/ハウスの草分け的12インチシングルを制作し、自らチェロとヴォーカルを中心としたアルバムを作る。

けれども、そのあまりの変幻自在さのために、ニューヨークのダウンタウンの他の革新者であるフィリップ・グラスやローリー・アンダーソン、デヴィッド・バーンのように歴史の中にほとんどこの奇才はほとんどまともに評価されることはなかった。先述のサイモン・レイノルズは、アーサー・ラッセルの崇拝者であることを公言しているが、『ポストパンク・ジェネレーション』ではほとんど触れられていない。「私たちは、アーサー以外は全員が受け入れた……。彼は人生の最後までアンダーグラウンドなミュージシャンだった」(グラスの回想)のである。

アーサー・ラッセルを今再発見することは、今では別々に分かれてしまったミニマル音楽以降の実験音楽やニューヨークのアートシーンとハウスミュージックの接点をあらためて考えなおすことだろう。

さて、こうしたポピュラー音楽史の再検討を、世代的なノスタルジーとして括るのはもったいない。実際、私のような比較的世代が重なる者にとっても、初めて知る事実の方が多い。むしろ、その頃「音」として知ることができなかった音楽が、さまざまな文化の重なりあいから生まれていた事実をあらためて音楽の可能性として考えたい。それは、非物質的なデジタルデータのやりとりに還元されがちな最近の音楽を、文化と政治と生活の中に位置づけなおすことなのだ。


ミック・ファレン『アナキストに煙草を』(赤川有起子訳/メディア総合研究所)
http://www.amazon.co.jp/dp/4944124376/
サイモン・レイノルズ『ポストパンク・ジェネレーション:1978‐1984』
(野中モモ・新井崇司訳/シンコーミュージック・エンターテイメント)
http://www.amazon.co.jp/dp/4401634047/
ティム・ローレンス『アーサー・ラッセル:ニューヨーク、音楽、その大いなる冒険』
(野田努監修・山根夏美訳/ブルース・インターアクションズ)
http://www.amazon.co.jp/dp/4860203623

 

 


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itabashi
毛利嘉孝(もうり・よしたか)

東京藝術大学助教授。一九六三年生。専攻は社会学・文化研究。特に音楽や美術など現代文化と都市空間の編成や異文化理解をテーマに幅広く活動中。
主著に『文化=政治:グローバリゼーション時代の空間の叛乱』(月曜社)、共著に『カルチュラル・スタディーズ入門』『実践カルチュラル・スタディーズ』(ちくま新書・ともに上野俊哉との共著)、翻訳にジェイムズ・クリフォード『ルーツ』など。編書に『日式韓流:『冬のソナタ』と日韓大衆文化の現在』(せりか書房)。NPO法人アート・インスチチュート北九州理事。
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