僕が駒沢先生とはじめて会ったのはもう20年以上前になる。
たしか''90年代初頭、雑誌「SWITCH」が「The New Lost Genereation〜あらかじめ失われた世代〜」という当時のアメリカ文学の担い手たちを特集した別冊を出した。ジェイ・マキナニーやブレット・イーストン・エリス、あるいはデヴィット・レヴィットといった作家のインタビューなどで構成され、彼らが好きだった僕にはうってつけの本だった。そこに書かれている文体もあのころの乾いた感覚、「あらかじめ失われた」そんな感覚をうまく紡ぎだしていた。聞けば、その編集者はひとりでアメリカを横断しながら取材したという。
同じころ、フジの深夜番組で「アメリカンギターズ」という番組があった。アメリカのギターメーカーを巡りながら、アメリカンロックの歴史を振り返るという番組で、たまたま見た初回がリッケンバッカーだった。ロードームービー風のその番組は最後にバーズのリーダー、 ロジャー・マッギンが12弦のリッケンで「ミスター・タンブリン・マン」を弾き出す姿になぜかアメリカが失ってきたものがオーヴァーラップしてきた。おそらくそれはその私小説風のナレーションのせいだったかも知れない。
そのナレーターがこの番組の構成作家で、アメリカを横断してきたのはすぐあとのクレジットでわかった。
そして、さきほどの編集者とその構成作家が同一人物と知るのはそう時間がかからなかった。その人こそが駒沢敏器。
作家でもあり、翻訳者でもある駒沢先生の作品「ミシシッピーは月まで狂ってる」「語るに足る、ささやかな人生」「地球を抱いて眠る」「アメリカのパイを買って帰ろう」「夜はもう明けている」、タイトルのなんとステキなことか。その独特な文体に魅せられてしまった。
共通の知り合いを通じて会って以来、半年にいちどくらいの割合だったけど、会うたびに小説、特にアメリカ文学を、そしてアメリカを語り合った。
マキナニーの著書を翻訳したとき、高橋源一郎訳と比較されるのがなんだかなあという話。エリスの「レス・ザン・ゼロ」がいかに傑作でその映画がいかに駄作かという話。ダグラス・クープランドは「マイクロ・サーフ」で次へ抜け出したよねという話。ポール・オースターの最高傑作はなにかという話。僕は「鍵のかかった部屋」か「最後の物たちの国で」だけど、先生は「偶然の音楽」か「ムーン・パレス」って言ってたっけ。柴田元幸さんの翻訳の素晴らしさは共通した意見だった。
沖縄にもよく行き、沖縄の話もよくしてくれたけど、彼の話す沖縄には常にアメリカが傍らにいた。
じぶんが横断したアメリカ、本から感じ取ったアメリカ、人から聞いたアメリカ。
彼の語るアメリカはいつもどこか乾いていて、そして、なくなってしまったなにかを懐かしむかのようだった。
駒沢先生には「ここではない、どこか」、そんな言葉が似合う。
いつもいるようで、でもいないような、そんな感覚。常に旅をしているような、そんな喪失感。不思議な人だった。
その後、中学生対象の番組を作るときに原案を書いてもらったりもした。どうやったら勉強の面白さが伝わるだろうか、とそんな無茶ぶりにも素晴らしい文章を返してきてくれた。
この少年タケシの編集長を引き受けたとき、日記か小説かわからないものを書いてくださいと真っ先にお願いした。
駒沢先生なら、きっとそうした不思議な感覚の文章を書いてくださるだろうと。
あらためていま読み返してみると、リアルとフェイク、フィクションとノンフィクションが入れ替わるような、そんな不思議な感覚をおぼえる。もっと読みたい。いまあらためて思う。
最後に会ってからもうどれくらい経ったろうか。
足が少し悪くなったという話も聞いて、青葉台まで行きますよという電話をしたのが最後だったかもしれない。
できるなら、もういちど、アメリカ文学の話をしたかった。マキナニーはいまなにをしているんだろう。エリスはもう書かないのか書けないのか。クープランドはどうしてアートにいってしまったのだろうか。オースターなら3.11についてどう語るのだろうか。
いまになって話したいことがたくさん出てくる。
「なにかを失う」ということは、たぶんこういうことなんだろう。
少年タケシ編集長 福原伸治










