父と自分の夢

 父・栄助は高校球児でした。
熊本の強豪校で2年生からエースになりました。
2年の夏、3年の夏と県大会決勝では
いずれも1点差負け。
甲子園に行くことは出来ませんでした。
 
 その後、ドラフト外で西鉄ライオンズ入団しました。
選手寮の同部屋はあの東尾修さんでした。
「右の戦力として東尾か福永が出てきてくれれば」と
首脳陣は期待していたそうです。
ファームでも活躍し、1軍での登板も果たしました。
三原監督が西鉄からヤクルトに移籍される際に
一緒にヤクルトに移りました。
当時のチームメイトには大矢明彦さん、若松勉さんらがいました。

 この頃から父は右肩の疲れが抜けなくなり、外野手に転向。
結局、ヤクルトでは投手として神宮のマウンドに上がることなく、
外野手としても神宮ではなくビジター球場で1試合出場しただけで
現役を終えました。

わずか5年での引退。その1年後に自分が生まれました。
プロ野球選手だった父の姿を自分は知りません。
父の影響で野球を好きになり、父の指導の下、
投手を目指しました。
しかし、父のような才能はなく、
父が立てなかった甲子園のマウンドに上がりたいという夢は
高校進学前に諦めました。
夢を諦めさせてくれたのは他ならぬ父でした。

その後、テレビで活躍される逸見政孝さんの姿に憧れ、
アナウンサーを目指し始めました。
また振り返ると小学校の頃に見ていた、
金曜8時のプロレス実況をしていた古館伊知郎さんをアナウンサーだと知り、
よりアナウンサーへの想いを強くしました。

そして高校3年の92年7月5日。フジテレビナイター祭り。
1番好きなスタジアムである神宮球場のヤクルト×巨人戦。
2−4とリードされた巨人は9回表に2アウトから
3番の岡崎郁がフォアボール。
4番の原辰徳に打席が回ります。
5球目をとらえた瞬間に、原はバットを夜空に高々と放り投げました。
起死回生の同点ホームラン。
テレビで見ていた自分はこのシーンに震え、
「フジテレビに入り、いつかナイター祭りで
こんな試合を実況したい」と大きな夢を抱きました。

時は流れ、いくつかの類まれな幸運に恵まれ続け、
フジテレビのアナウンサーになった自分は
くしくも父の64歳の誕生日である4月16日に
ナイター祭りで神宮のヤクルト×巨人戦を担当します。

22年近く前に抱いた夢が叶います。
父がプレイしたかった神宮球場で、
プロ野球選手だった頃の父の姿を想像しながら
魂を込めて実況に向かいます。

「父と自分の夢のナイター祭り」プレイボール!




ってブログを本当はオンエア前に上げたかった。。。

投稿:福永一茂 | 12:43 | アナウンサーのコメント(0)
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