「ワタシ、サイ、と申します。ドォゾ宜しくお願いシマス。」
そう言ってペコリと頭を下げたのは30代後半と思しき痩せ形の、小柄な女性だった。
「サ」と「イ」の間に小さな「ァ」が入ったような、強い調子の「サイ」の発音。
午前8時のホテルのロビーは寒々として静かだ。サイさんの「サァイ」が高い天井にことさら響いた。
このロビーには私たちと同様、日帰りツアーのコンダクターと待ち合わせていると思われる人々が大人しく迎えを待っている。
年が明けた正月2日、私と夫は上海での最終日を迎えていた。年末からの滞在で大都市の賑わいにきっと疲れているだろう、最後の日は都市から少し離れた景勝地、蘇州と周荘に足を延ばしてみようと、予め現地旅行会社に申し込んでいたのだった。
実際私たちは疲れていた。それは想像していた都市のざわめきにというよりも、大陸の乾いた寒気にと、その寒さを同じように寒いと感じないらしい上海人たちとの隔たりに、疲れていたのだった。気温は氷点下3度くらいということだが、氷のような空気は皮膚を突き抜け体温を奪い続けるようだった。着込んでも着込んでも自分が氷柱のようになってゆくこの感覚から逃れられない。
「マズ、蘇州に行きマス。上海からは混んでなければ1時間くらいデス。今日はこのツアー、シマダさんたちダケですのでクツロイデください」
寛いでくださいと言う割には、バンの車中でサイさんは助手席から斜めに体をひねってずっと話しかけてくれる。早口、というか単語と単語ののりしろが極端に少ないしゃぺり方で、後方に過ぎてゆく上海の街を、ビルを、目に入るもの全てを、サイさんはひとつも逃したくないようだった。
シマダさんたち初めてですか上海、そうですか随分変わったでしょう上海は、万博があって急に変わりましたあそこに見えてる建物上海でイチバン大きな塔デスネ上海環球金融中心登りましたかそうですか、今年の中国では日本のオショーガツは2連休デスネ中国は旧ショーガツの方が活気アリマスだから今日ワタシ働いててもアマリ寂しくありません、ソウソウこの高速ドウロもスゴク整備されたデモ日本はETCですか上海マダですがもうすぐ導入するそうですああそこに見えるのは上海の・・・
処理能力が旧タイプである私の頭はすぐにパンパンになってしまうのだ。サイさんは頭のいいひとなんだなあと感心しながらも、相槌を打つのにも少々疲れた私は隣で早々に眠りこけている夫をサイさんに見られないよう睨みつけた。
「お疲れ様デシタ、蘇州寒山寺到着デス」と言われ車を降りた。
が、そこには、一本、真新しく舗装された通りがまっすぐに伸びており、周りにはなんだかこれも新しい木の匂いがまだ嗅ぎとれそうな建物ばかりが並んでいた。それは寒山寺に至る歩道だった。
「サイさん、ここは? 新しいのですか」
「ハイ、整備しました。建物も上海万博に合わせて改築したものが多いですからとてもキレイデス」
そうこともなげに言ってからサイさんは人混みを分けるようにせかせかと前へ進んでゆく。私にとっては意外だったがこの寒さにも拘わらず蘇州は観光客でごった返していた。
「ドォゾ、シマダさんたち、こちらデス」
案内された先にはレモン色に塗り染められた塀。そして「寒山寺」の文字。文字の前には記念撮影しようと人々がわいのわいのと列をなしていた。
この蘇州の寒山寺は502〜519年に創建とのこと。さあさこちらデスよ、とサイさんが嬉しそうに手招きする。寺の端のそこには、木の塀と庇にかばわれるように、背丈くらいの石碑がガラスで覆われ立っていた。
こんな場所で無知を公言するようで恥ずかしいが私はこの有名な拓本の前に立ってもしばらくきょとんとしていた。アーあなたも知らないですか、とサイさんが寂しく笑ったので、ここが大抵の人のお目当てだと分かった。この寺は張継(ちょうけい)という人の「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」という詩によって広く知られているのだそうだ。
サイさんによると、日本の昔の教科書には必ず載っていて、ある年齢以上の日本人を案内するとみんな懐かしんで喜ぶそうだが今はあまり採用されておらず若い人の反応はいまひとつだとか。サイさんの拍子抜けした顔を思い出しながら後で少し調べてみた。せっかくだからここにひいてみよう。漢詩の好きな人はきっとよく知っていると思う。
「楓橋夜泊(ふうきょうやはく)」 張継
月落ち烏啼いて霜天に満つ (つきおち からすないて しもてんにみつ)
江楓漁火愁眠に対す (こうふうぎょか しゅうみんにたいす)
姑蘇城外の寒山寺 (こそじょうがいのかんざんじ)
夜半の鐘声客船に至る (やはんのしょうせい かくせんにいたる)
≪月は西に落ちて烏が啼き、霜の気は天に満ちている 川岸の楓の間には漁火が見え旅愁のために熟睡できない私の目に映る そのとき姑蘇城外の寒山寺の夜半を知らせる鐘の音が 私の乗る船にまで届いて来た≫
さてこの寒山寺、風光明媚とまではいかないだろうがせめて異国の古の情緒くらいは感じられるかと期待していたのだが、この、いかにも観光客用に整備された古寺からは「夜半の鐘声(しょうせい)」は聞こえてきそうもないのだ。
サイさんは、何十回何百回もここをガイドしてきたのだろう、豊富な知識と流暢な説明で境内を隈なく案内してくれる。そこかしこでデジカメを構えた一団がきゃっきゃっとはしゃぎながらピースサインをポーズを決めている。10代らしきグループは仲間同士の会話により熱心だ。
そんな人の流れに沿って境内を歩きながら、サイさんに聞いた。
「サイさんはずっと上海?」
「ハイ、上海で生まれました。上海、そうですね、ウン、好きデスね。これからもっと上海は良くなりますヨ。」
「ここにいる観光客も、上海から来た人たちなの?」
「上海の人たちもいますが、ほとんどは中国全土からやって来ます。寒山寺有名デスから。田舎から連休を使ってやって来ます。今、日本人は少ないデス。」
「ふうん」
流れるようなサイさんの会話が急に止まり、すこし考えてから静かにこう言った。
「ウルサイね、ニギヤカデスね。でもね、今中国は発展の途中デス。みんな少しずつお金できてきました。すごく田舎からも旅行する余裕が出てきました。」
それがいけませんか?と聞かれているようで、私はきまり悪くなってしまった。どこかで、素朴な中国を求めていた自分がいたのを指摘された気分だった。素朴な何かなんて、旅人の勝手な願望でしかないことを知っていたはずなのに。古刹の、有名である所以すら知らずに訪れる私に、何を言う資格があろうか。
向こうのほうからはどやどやと、ひときわ大きな笑い声が聞こえていた。


















