祝!「笑っていいとも!」7000回
今日の放送で「笑っていいとも!」は7000回でした。7000回も生放送をし続けているのは、本当にすごいことです。改めてタモリさんの偉大さを感じました。
「笑っていいとも!」は1982年10月4日にスタートしました。まだ僕が大学生の頃ですが、正午ちょうどにサングラス姿のタモリさんが「ウキウキウォッチング」を歌いながら登場してきたのを見てびっくりした記憶があります。僕は「タモリ」のLPレコード4枚を全部持っていたほどのファンだったので、タモリさんが司会でうれしかったです。でも「深夜っぽいイメージのタモリさんを、横澤彪プロデューサーはよくお昼の番組で起用したなあ」とtは思いました。
その後フジテレビに入社して半年目の1984年10月から横澤班に移籍し、小堺一機さん司会の「いただきます」の開始とともに、同じアルタで生放送している「笑っていいとも!」のADも兼任することになりました。「いただきます」のAD業務がメインで、「いいとも」は本番だけでスタンバイの仕事でした。スタンバイとは、タモリさんやレギュラー及びゲスト出演者を出番に合わせて呼びに行く仕事です。
憧れのタモリさんの番組「笑っていいとも!」のスタッフになれた僕は最初の頃は結構ミスをしたりしていたので、よく生放送中にタモリさんにいじられてAD清水の話で笑いが取れることが多くなりました。「ここにいます事件」(2007.8.2のブログネタ)がきっかけでした。「タモリさん、3分前です!」シリーズ(2007.8.6のブログネタ)をタモリさんがネタにしてくれた時期もありました。「いいともスタッフ隊」としてタモリさんと一緒にオープニングを務めながら笑いを取ったこともありました。「笑っていいとも!」は、僕がお笑い番組の制作を1から学んだ思い出深い番組なのです。
こうして「いいとも」のADを1987年9月まで務めて、いったんスタジオ収録物の勉強ということで横澤班では「オレたちひょうきん族」のADとなりました。その後1993年10月から1994年3月まで「ごっつええ感じ」のDをやりながら「笑っていいとも!」木曜日のディレクターも兼務しました。ディレクターとしてアルタに戻ることができて感慨ひとしおでした。曜日レギュラーは、笑福亭鶴瓶・K2(勝俣州和・堀部圭亮)・ROLLY・奥山佳恵さんでした。そこで「愛のささやき」や「どんぐりこうもん」「ロックンローリー」「ギターは語る」などのコーナーをやりました。「モッコリーズのテーマ」を放送した日(2008.2.28&2.29のブログネタ)には20.0%という高視聴率をゲットしたりして、とても楽しくて勉強になった半年間でした。
そんなわけで、幸運にも「笑っていいとも!」7000回の歴史の一部に関わることができた僕ですが、タモリさんには今後もずっと頑張っていただき8000回、いや10000回を目指していただきたいなと思っています。









