プロフィール

清水 淳司
1984年4月1日、フジテレビジョン入社。以来第二制作部12年、FCC7年と主にバラエティ畑を歩む。「いただきます」「笑っていいとも!」「邦ちゃんのやまだかつてないテレビ」「うれしたのし大好き」「ポンキッキーズ〜爆チュー問題」などを担当。4年間の美術プロデューサー生活を経て、現在はライツ開発局 コンテンツ事業センター 映像企画部勤務で、主にバラエティのDVDを企画・制作するプロデューサー。大分県出身

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2009年10月10日(土)

「フジテレビ30年史」制作秘話D〜そして高視聴率GET!〜

今夜は「フジテレビの笑う50年」という番組が放送されます。忘れた頃にやってくる「フジテレビ開局50周年記念特番」です。「めちゃイケ」チームがやるのですが、前にやった「笑いの50年」をテーマにした「バラエティルーツの旅 あなたがいたから僕がいた 半世紀大感謝祭」と切り口がどう違うのか見ものです。

忘れた頃にやってくるといえば、開局30周年特別企画「フジテレビ30年史」制作秘話の完結も、3月27日に第4回を書いて以来忘れていました。そこで半年以上経ったけれども、その続きを書きたいと思います。

開局から10数年の過去のVTRがほとんど残されていないという事実が判明し、「フジテレビ30年史」という特番は、残っている素材をうまく使って「集まれ!フジっ子NO.1クイズ」という企画を縦軸にして構成しようということになりました。

我々制作スタッフは、苦労して見つけ出した素材を1インチテープに立ち上げたものと、もともと編成資料に残っている自社制作の素材と、フィルムなどで残っているアニメや実写版のヒーローものやドラマなどの素材を全部チェックして、どのようにしてクイズとして使えるか考えました。

僕が編成資料室に残っている古いVTRを調べていたら、昔のフジテレビは「オールスター○○」という特番がやたら多いのが目に付きました。「オールスター大運動会」とか「オールスター水泳大会」などの、アイドルがたくさん出る番組です。なぜかトップアイドルが優勝することが多いこの「オールスターもの」に、司会の明石家さんまさんも出ているのを見つけました。「バラエティルーツの旅」でも使われていましたが、「第19回オールスター紅白大運動会」(1981.10.20放送)で、田原俊彦さんにアンカー勝負で競り勝ってリレーで優勝したのです。勝ってはいけないのにです。そんなリサーチ結果を報告したら、「オールスターとタイトルにつく番組が30年間でいくつあったか?」という問題が1つ採用されました。うれしかったです。ちなみに答えは353です。

「集まれ!フジっ子NO.1クイズ」は、明石家さんま・楠田枝里子・露木茂さんの司会で、ゲスト解答者が寺島純子・山田邦子畑正憲・関根勤・渡辺満里奈和田勉・斉藤由貴・片岡鶴太郎さんそして少年隊のチームに分かれ、出題ゲストで南野陽子・浅香唯さんなどのタレントや女子アナ1期生などのフジテレビOBなども多数出演して収録されました。とてもおもしろかったです。

どのコーナーも盛り上がっておもしろかったので、編集が大変でした。編集量も多かったので、小畑芳和ディレクターだけでなくADの僕と代々木明徳さんもOAに収まるような感じの荒編をしました。それを小畑さんがまとめて編集してOA尺にしたのですが、放送開始ギリギリまで編集・MAをしていました。

こうして、社運を賭けた番組「フジテレビ30年史」は昭和63年3月31日(木)午後8時から3時間18分という長尺で放送されました。クイズを縦軸として、他にタモリさんなどゲストに迎えたトークコーナーや「地上最大のクイズ」などの抜き撮りコーナーそして「アニメ30年史」などのVTRのQショットをはさんだ構成で放送されました。

放送開始ギリギリまで編集していた小畑班の力作だったので、横澤彪ゼネラルプロデューサーをはじめ、著作権の処理など地道な作業をやって下さった著作権部の篠原さんや膨大な量のVTRを一緒になって探して下さった編成資料の八木さんたちも含めて、みんなが高視聴率を期待しました。結果は26.7%で大成功でした! ちなみにこれは僕が深く関わった番組の中で生涯最高視聴率です。そういう番組作りに参加できた喜びは、何と表現していいかわからないほどです。

 

2009年03月27日(金)

「フジテレビ30年史」制作秘話C〜地上最大のクイズ〜

開局30周年記念特番の「フジテレビ30年史」では、かつてフジテレビで放送していた人気クイズ番組「地上最大のクイズ」を再現しようということになりました。

「地上最大のクイズ」
は、正式タイトルは「オリンピックショウ地上最大のクイズ」というのですが、昭和37年11月13日からスタートした番組です。毎週火曜日の19時30分から30分間生放送していた番組です。当初は東京オリンピックが終ったら終了する予定でしたが、好評により延長し昭和40年5月25日まで放送されました。司会は桂小金治さんで、100人の解答者がいて○×クイズで正解した人だけ残っていき、人数が絞られたら3択クイズとなり最後の一人になった人が優勝するというクイズ番組です。「失われた10年」の生放送番組だったので、例によってVTRが全く残っていませんでした。

そこで残された番組資料写真と当時の制作スタッフの話をもとにして、セットを再現しました。番組のオープニングテーマのテープは残っていました。それでスクールメイツがその曲に乗って踊るというオープニングで始まり、明石家さんま・楠田枝里子さんの司会でフジテレビ社員100人を解答者にして収録しました。出題のソクラテス博士は、当時の司会者だった桂小金治さんがやりました。問題は全部フジテレビの番組関連の問題です。「Q.学生時代に『ザ・ガマン』という番組に視聴者として出ていたアナウンサーは誰?」というような問題です。答えは川端健嗣アナですが、そのVTRを出したら解答者のみんなは喜んでいました。そのつながりで、大捜索の末偶然見つかった、若かりし頃の露木茂アナウンサー司会の「モーレツ欲張りゲーム」のVTRも出したのですが、スタジオは大ウケでした。

再現した「地上最大のクイズ」の解答者がフジテレビ社員100人で、その中にはアナウンサーやひょうきんディレクターなど知った顔も大勢いたので、司会の明石家さんまさんは自由につっこんで笑いを取りまくっていました。そんなわけで収録は大盛り上がりのうち終りました。ちなみに優勝したのは、ワイドショーを制作している第三制作部の舟本雅彰さんでした。妙に照れまくっていたのが印象的でした。

この抜き撮りコーナー「地上最大のクイズ」の編集(荒編)を僕は任されました。これはさんまさんがノリノリでしゃべりまくっていて2時間ぐらい収録したものを30分以内ぐらいに詰める作業だから結構大変でした。しかし非常にやり甲斐がある編集で、何よりも本来だったらディレクターがやる作業を任されていたからうれしかったのです。(つづく)


 

2009年03月08日(日)

「フジテレビ30年史」制作秘話B〜素材探しの旅〜

「フジテレビ30年史」の素材探しは、失われた宝物を探す発掘調査のようなものでした。会社の編成資料部には、宝物がほとんど残っていなかったのです。僕はインディ・ジョーンズになったような感じで、失われた古き素材探しの旅を続けたのです。

ADにとって「ありませんでした」という言葉は言ってはならない言葉でしたが、僕は横澤彪ゼネラルプロデューサーや小畑芳和ディレクターにリクエストされた開局から10年ぐらいの番組の映像は「ありませんでした」と報告するしかなかったのです。すると横澤さんは、「個人的にキネコで録画しているものを持っている人がいるはずだ」とおっしゃいました。それで僕はキネコで録画されたものを探すことにしました。

キネコ
とは、ブラウン管に映った映像を16ミリフィルムで撮影するという録画方法です。テレビ本放送が始まった頃の唯一の録画手段です。したがって、映写機を持っている人にしか再生できなかったわけです。開局当時はキネコを欲しがる出演者にあげていたとも聞きました。僕は横澤さんから映写機を持っていたらしき人の名前を何人か挙げてもらい、聞き込み調査をしました。その結果、開局当時から生放送で時事ネタをコントにしてクレイジーキャッツが演じていた「おとなの漫画」というミニ番組が何本か見つかりました。確かハナ肇さんが個人的に持っていたキネコを借りたという記憶があります。また、どこで見つけたか忘れましたが、あの長寿番組「素人民謡名人戦」のモノクロ放送の同録がキネコで一本だけ残っていました。ホント貴重な映像を発見しました!

さらに僕の古い素材探しの旅は続きました。開局から数年経つと家庭用のオープンリール式モノクロVTRが発売されたそうです。1/2インチとも呼ばれていましたが、かなり高価な超贅沢品でした。横澤さん人脈の中で、それを持っていたらしき人にやはり電話して聞きました。そしてオープンリールビデオを持っている人の家におじゃまして番組の映像が残っていないか探しました。

フジテレビOBの千秋與四夫さんと結婚した畠山みどりさんの家にもその機械はあったのですが、割りと御自分の出演シーンを中心に録られていてなかなか番組丸ごとを録画しているものはありませんでした。「ちびっこのどじまん」「歌のスターパレード」などです。ごく短い時間でしたが「お昼のゴールデンショー」らしきものが映っているのを見つけた時は、砂金の中から金を見つけ出したような気分になりました。また、我々が欲しかった「ピンポンパン体操」をやっていた頃の「ママとあそぼう!ピンポンパン」は、出演者でもあり保護司をやっていた新兵ちゃんこと坂本新兵さんが録画していました。それでも長い時間の放送に耐え得る録画状況ではありませんでした。僕は行っていませんが、塚田茂さんのお宅からは「拝啓チャップリン様コント55号只今参上」(昭和46年2月18日放送)という番組のテープが見つかりました。これらのテープはイマジカに1台だけ残っていたオープンリールビデオデッキから1インチテープにダビングしました。

「失われた10年」以降でも生放送のオンエア同録は、編成資料部にほとんど保存されていませんでした。昭和40年5月1日から放送されて長く続いたワイドショーの「小川宏ショー」は、スタッフルームの片隅に放置されていた通称弁当箱と呼ばれていた3/4インチテープの中に偶然オンエア同録されているのを見つけました。そんなに古くない「笑ってる場合ですよ」ですら記念回ぐらいしか1インチのオンエア同録を残していませんでした。バラエティでも生放送の同録は家庭用のβテープにしか残していなかったのです。ただ、「笑っていいとも!」のディレクターで、横澤班で長くADをやっていた星野淳一郎さんの昔の資料を入れたダンボールから「笑ってる場合ですよ」「お笑い君こそスターだ」をまとめた1インチテープがどっさり出て来ました。これには売れる前のダウンタウン山田邦子さんなどが出演していましたし、今はバラエティ制作センター室長の水口昌彦さんも出て勝ち抜いていました。これも星野さんが残しておいてくれた貴重な映像でした。

八木治郎
さん司会の「万国びっくりショー」は、河田町の本社ビルの近くにあったフジサンケイリビングの地下の倉庫に埃をかぶっていた2インチテープの中に見つけました。今思えば、脳天やしの実割り男(インドネシア)・火を喰う女(香港)などの世界のびっくり人間が毎週出演できたことはすごいことだと思います。僕ならキャスティングできませんとサジを投げそうです。

ここにはもう一つ宝物が眠っていました。露木茂アナウンサーの若い頃の姿が映っている「モーレツ欲張りゲーム」というモノクロ映像の番組を1本だけ偶然にも発見したのです! 昭和44年7月20日放送で、どこかのホールから公開放送していました。♪欲張ることはすばらしい〜という歌に乗ってスタートしていました。僕の中では思いがけなく発掘した最大の掘り出し物でした。収録の時に本人に内緒でビデオを見せた時の露木さんの驚いた顔は、今でも鮮明に覚えています。こんな時に素材探しの辛さがいっぺんに吹っ飛ぶのです。(つづく)


 

2009年03月05日(木)

「フジテレビ30年史」制作秘話A〜失われた10年〜

「フジテレビ30年史」という大型特番のチーフADとなった僕が、編成資料室に過去のVTRを探しに行って唖然としたのは、開局当日の番組の映像がほとんど残っていなかったことです。ちなみに開局翌日にスタートした「スター千一夜」の記念すべき第1回目の番組VTRもなかったのです。

もちろん開局当日のニュースのアナウンサー込みの映像も残っていませんでした。「ニュース30年史」というコーナーをやりたくて探したのですが、報道やワイドショーでは30年経った当時でも取材VTRしか残しておらず、放送した番組は30年近く経ったその頃もβテープ(家庭用1/2VTR)に1ヶ月ぐらい保存して破棄してしまっていたのです。こちらとしてはキャスターやアナウンサーがニュースを読んでいる映像は貴重なものだと思っていたのですが、昔からそんな伝統があったのです。

映像はほとんど残っていませんでしたが、写真はたくさん残っていました。放送局なのに写真だけ残しているのもおかしいのですが、何もないよりはマシです。その膨大な写真資料の中に、開局日にスタジオの片隅で座っている柳亭痴楽さんと牧野周一さんの写真がありました。何か放送事故があったらすぐにカメラ前に飛び出して行って視聴者にあやまる「おわび屋」として14時間スタンバっていたそうです。結局放送事故はなく、2人の出番はなかったそうです。

横澤彪
ゼネラルプロデューサーは1962年にフジテレビに入社していますが、「しろうと寄席」という番組のADをやっている頃の写真も見つかりました。子供の頃その番組に出演していた片岡鶴太郎さんにその写真を収録の時にサプライズで見せた時は、かなり大ウケしてくれました。うれしかったです。

構成会議で使いたい素材として候補にあがった古い番組としては、「スター千一夜」「おとなの漫画」「お昼のゴールデンショー」「地上最大のクイズ」「テレビ結婚式」などのバラエティ番組や「ザ・ヒットパレード」「ビートポップス」「リブヤング」「勝ち抜きエレキ合戦」などの音楽番組そして「三太物語」「三匹の侍」などのドラマです。僕はフジテレビを昔はネットしていない大分県に育ったので、どんな番組なのかさっぱり見当がつきませんでした。だからスタッフの中では一番開局まもない頃の番組事情に詳しい横澤さんが、誰がやっていた番組かなど丁寧に教えてくれました。

そんな情報と総務部の作ったフジテレビ社史に書いてある情報をインプットして編成資料室に毎日のようにこもってこれらの番組のVTRを探したのですが、またしても残っていませんでした。「スター千一夜」は昭和45年3月26日放送のが最も古いという状態で残っていました。ただ、元フジテレビ社員だった五社英雄監督のドラマ「三匹の侍」(昭和38年10月10日初回放送)だけ全部ちゃんと残っていました。モノクロの貴重な映像です。フィルムで撮影していたから残っていたのだと思います。ちなみに外部制作のアニメやドラマやテレビ映画でもフィルムで撮っているものはその制作会社にほとんど残っています。だから外部制作の素材の方が、局制作のものより遥かに集めやすかったのです。

開局して随分経った後で始まった番組の中で探していたものでも、なかなか開始当時のものは残っていませんでした。毎回残す習慣はなかったのです。長く放送されていた番組で、その時保存されていた最も古い素材ではこんなのが見つかりました。
「ズバリ!当てましょう」(昭和36年8月5日スタート)→昭和44年3月29日放送
「ちびっこのどじまん」(昭和40年7月27日スタート)→昭和41年8月26日放送
「ママとあそぼう!ピンポンパン」(昭和41年10月3日スタート)→昭和48年2月27日放送
「夜のヒットスタジオ」(昭和43年11月4日スタート)→昭和44年1月27日放送
「ラブラブショー」(昭和45年4月5日スタート)→昭和45年6月21日放送

そんなわけで、開局から10年ぐらいの番組の映像もほとんど残っていなかったのです。当時は生放送が多くてそれを録画しておくVTRテープが高価だったのと、二次利用しようという考え方がなかったのかもしれません。各局同じような保存状態だと思います。今思うとかなりもったいない話です。もしテレビ開局時にVTRを残すという考え方を持ち、しかもその二次利用権をテレビ局が持つという考え方をしている人がいたならば、歴史は変わっていたでしょう。

写真はあるが、映像はほとんど残っていない…まさに「失われた10年」という感じでした。10年以上かもしれませんが…。「こんな状態で、果たして30年史と銘打って放送できるのだろうか?」そんな不安が僕の中によぎったのです。(つづく)


 

2009年03月04日(水)

「フジテレビ30年史」制作秘話@〜開局一発目の映像〜

フジテレビ開局記念日3月1日が日曜日だったため、翌2日の夜に開局50周年パーティが行われ、節目の年を迎えることのできた社員と協力会社の人たちが集まりました。そこで開局当時の記録映像なども流されて「フジテレビ30年史」をやった時の記憶が走馬灯のように甦って来ました。ところで、そういえばまだ「フジテレビ30年史」の制作裏話を詳しく書いていませんでしたね。そこで今日から何回かに分けて、それを書こうと思います。

この番組はフジテレビ開局30周年特別企画で、横澤彪さんがゼネラルプロデューサーになってから最初に手掛けた大型特番だったと記憶しています。横澤班を3つにのれん分けして初めて手掛ける特番でしたが、横澤さんはそんな大番組のディレクターにひょうきんディレクターズではなく、「いただきます」で横澤班のディレクターに加わった小畑芳和さんを指名したのです。しかもディレクターは小畑さんだけです。僕が思うに、小畑さんが「いきなりフライデーナイト」で「実写版鉄人28号」「実写版マグマ大使」「少年ジェット」など過去の素材をまるまる見るコーナーをやって当てたのと、その発展形で「ラブラブショー」など過去の番組を再現した「ぼくら冒険王」という特番を「金曜おもしろバラエティ」で2回やって成功させた実績を横澤さんがちゃんと評価していたからこその大抜擢だと思います。

そんなわけで、小畑さんの下で「いきなりフライデーナイト」もやっていた僕は、当然の成り行きでこの大番組のチーフADとして参加することになりました。他のADは代々木君(現・スマスマD)と笠井君(現・ごきげんようD)など「いきなりフライデーナイト」のメンバーと「いただきます」の深水君(現・営業局名古屋支社長)などでした。さすがにこの時はレギュラーで「オレたちひょうきん族」「いきなりフライデーナイト」はあるし、毎年やっていた特番の「広告大賞」も同時に抱えていたから、30年分の素材を洗い出さなくてはならない「フジテレビ30年史」の仕事が増えたのはめちゃくちゃ大変でした。しかし非常にやり甲斐のある仕事でした。

この番組のADとして最も大変だったのは取材及び素材集めでした。社内の先輩やOBに話を聞いたりする方が早かったりするので、取材も作家さんに頼まずに自分でやりました。また、構成会議で横澤さんたちが欲しいと言った番組の映像を探しに毎日のように編成資料部の八木さんの所へ行って、フジテレビの過去の番組が残っているかなど調べました。

まずは何と言っても開局当日の一発目の映像を集めなければならなかったので、その映像を探しに編成資料室に行きました。しかし唖然としました。我々が欲しかったフジテレビの記念すべき最初の放送である昭和34年3月1日午前9時20分からの「社長挨拶 水野成夫」は、会社の資料として撮影風景はフィルムで撮っていたけれども番組VTRとしては残っていなかったのです。

僕が生まれる前に既に開局していたフジテレビですが、驚いたことに意外にも昔はVTRというものがほとんど保存されていなかったのです。フィルムで撮ったものは残っていましたが、当時生放送だったものは皆無と言っていいほど保存されていなかったのです。テレビ創成期において、「放送」とは文字通り「送りっ放し」だったのです。

そんなわけで、開局当日の最初の映像を手に入れたかった僕は挫折感でいっぱいになりました。しかし途方に暮れている中、1つのアイデアが浮かびました。最近は早起きしていないから見ていませんが、今でもフジテレビでは1日の番組が始まる前に「オープニング」の映像が流れているはずです。CG映像の最後に「JOCX-TVフジテレピ」というコールサインが出るやつです。そういうオープニングが開局当時もあったはずだと思ったのです。

そこで僕は放送部のマスター室を訪ねました。そして聞き込み調査をしたら、ベテランの森さんが大切に保存してくれていた16ミリフィルムの中に、開局当時のオープニングとクロージングの映像が残っていたのです! 富士山の上に電波が出て「8」がスーパーされた後にフジテレビと出るモノクロの映像です。今回の「歌の50年」「報道の50年」でもその映像を使っていたと思います。僕がフィルムを1インチのテープにダビングして編成資料室に保存しておいたから、その後いろいろな番組で使われるようになったのです。貴重な映像を保存していた森さんに感謝です。(つづく)


 

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