椎名林檎さんの、[旬]という曲を初めて聴いたとき、思わず、五度ほど繰り返し聴いた覚えがある。
歌詞の吸引力に、ただ、黙ってしまった。
美しくいなければ、若々しくいなければ、という強迫観念。
林檎さんは、こんなことを突いてくる。
女にとって、皆が思う旬の時期を過ぎたとしても、あなただけは、私が生きているかぎり、ずっと旬だと思わせていてほしい、と。
このブログでは、歌詞を引用するのは控えるので、ぜひ、オリジナルを見てくださいませ。
刺さる言葉で迫ってくる。
すさまじい。
が、少なからず、女ってこういう生き物だよねって思わされる。
逆にいうと、大勢の人からチヤホヤされる時期←これまた、個人差あるにしても、そんな時期を過ぎたとしても、誰か1人の人が、おばあちゃんになったシワをも愛してくれたら、生きていけるよね。
よくわからないチヤホヤより、確かなものがほしいんだよね、と。
幸いにも、わたしは、母から"女は愛嬌"と言われた記憶がないし、若いときにも、さほどチヤホヤはなかったけど、
しかし、シミができ、白髪を発見し、客観的に若いと言われる年齢を過ぎたら、
そんなこと関係ないよ、と心底言ってくれる人がほしかった。
だから、結婚して今にいたるわけだけれど、結婚という形自体が確かなものというわけではなくて、中味を確かなものに作っていかなくてはいけないと、かみしめてる。
そして、今日また、女の旬について考えてしまう映画を観た。
蜷川実花監督の、[ヘルタースケルター]。
主演は、沢尻エリカさん。
リリコという、若い女性の美のアイコンは、メディアの寵児、スターダムにのしあがる。
雑誌にテレビにCMにと引っ張りだこだが、所詮、美のアイコンは、消費される存在。次なるアイコンが登場し、リリコは自分より若い女性の美しさに嫉妬し始める。
さらには、リリコは全身整形してできた産物。もっと美しく、という欲望には際限なく、崩れていく容貌に、精神的にも崩壊していく。
リリコは、孤独から逃れられない。誰が私を愛し、必要としてくれるのだろう?
消費され、忘れられていくだけなのか?
これまた、すさまじくおもしろかった。
リリコほどグロテスクじゃないにしても、私の心の中にも、ミニミニリリコを飼っている。
小欲知足って事あるごとに言い聞かせるのは、それを実践するのが実際にはとても難しいことを知っているからだ。
しかし、はたと思う。
自分が、いわゆる旬かどうかを葛藤する時期が過ぎてからのほうが、毎日はおもしろい。
どう思われるか、より、どうありたいか。
世の旬は、常に移り変わっていくのを受け入れていく、達観。
自分は、地に足つけて、素足のきもちよさを感じながら進んていくのが気持ちいい。
佐々木さ、若くなくなってからの人生のほうが長いんだよ、と奥行きある微笑みで、大坪千夏さんがかつて教えてくれた。
と思うと、蜷川実花さん、実と花って女の一生として、いい名前だなぁ。
花が咲き、実が熟す。
数々の大女優の演出を手がけたお父様の案かどうかは存じあげないが、
美花、でないところが、深いなぁ。
しみじみ。