赤い靴。

05月21日(月)


今朝は、うきうき気分で、赤いバレエシューズで出かけました。





朝、通勤の際に、あれ、素敵、赤いカーディガンと赤いシューズの妙齢の女性が。



おぉ、通勤のダークな色彩のなかで、目立つなぁ、素敵だなぁと思い、その方の足元から私の目線をパンナップしたら、

なんと知り合いの方!



全く会うと思っていない時間と場所での奇遇だったので、


一瞬でしたが、

お互い、あ、あ、あー!と、話す間もなくすれ違いました。






その後、メールのやりとり。



赤、目立ってましたよぉ、わたしもたまたま赤い靴だったから、余計親近感あって、見ちゃいましたが、といった内容を送ったら、



その知人、


わぁ、金環日食の朝に、お互い赤い靴で出会うなんて、素敵!絶対いいことありますね!



とレスポンスくださいました。




知人は、私よりも、だいぶ人生の先輩。


にこやかで、いつも、なんとかなるわよおと、緩やかな空気をまとってらっしゃる。



本当に、彼女は人間パワースポットみたいな方なのです。


金環日食と赤い靴、
根拠はないけど、いいことありますよぉと言えちゃう心のもちよう、チャーミングさ、



彼女のにこやかさやの秘訣を垣間見た気がしましたよ。



よし、毎日、なるたけ上機嫌でいるぞっ。








爆裂。

05月20日(日)
あぁ、ショックだ。



きのう、フジテレビ会報誌のアビアドで、蜷川実花さんの素敵な事務所でインタビューさせていただいたのだった。


あまりに素敵な空間だったので、部屋の一部の写真を撮り、ブログ掲載もオーケーと言ってくださったのに、


やってしまった。撮れてないじゃあないかぁ。


何事も、確認が大事だ。



その瞬間しかできないこと、たくさんあるからねぇ。




何が素敵かというと、もう、完璧に、寸分の隙もない実花さんワールド。


ご自身が撮った写真を引き延ばして、壁紙にし、壁という壁は彩られている。


赤のイメージの部屋、黒のイメージの部屋。



クーラーやコンセントのスイッチまで、全て、写真が貼られている。



わたしが撮ったはずの写真は、まさにそのクーラーなのだった・・・



写真壁紙を貼る手作業をなさったのは、ご自身か壁紙職人さんか、相当細かな器用な方と拝察した。


クッション、ソファー、全ていろんな柄がミックスされてる。
←これは、新作映画のセットの小物の大半、実花さんの私物なので、要チェック。


かといって、生活感が排除されてるわけではない。



なんだか、心地いいのだ。


どんな奇抜なインテリア雑誌でもみないほど、

たくさんの色があるのに。


入った瞬間、実花さんに包み込まれる感じ。



全てのものが、妥協なく、実花さんの目で選ばれ、愛されてるものなんだろうな、とわかる空間。



なんとなくぅー、みたいな言い訳もなく、


寄せ付けない厳しさもない。



うふふふふ、私の世界へようこそ、みたいな、寛大な空間なのだ。





すっかり楽しくなってしまった私、先日もブログに書いたヘルタースケルターについて、もう、思いの丈を話し、実花さんと同い年、子どもも同じ年頃ということもあって、



多いに爆裂トークさせていただきました。



女ってめんどうくさいけど、そのめんどうくささが楽しいよね。


さみしさを埋めたくてダメンズの面倒みちゃったこともあったけど、

子どもができてから、ようやく完全なる円というこか、


淋しさのパーツが埋まったように思う、でも、まだまだ欲張って映画を作っちゃうんですけど(笑)。




もう、あまりに楽しくて、まだまだお話していたかったです。




そして、思ったこと。



どんな言葉を選ぶか、どんな服を着て、メイクをして、言葉そのものも、それ以外でも、


知らず知らず、全ては自分をメッセージしてるもの。




どこまでも実花さん、という強い個性を知って、なんだか大いにパワーをいただきました。


出会い、最高!ありがとうございます。











モノとの向き合い。

05月18日(金)
ブログでも書いてるとおり、最近、これからの巣籠もりに向けて、気がつくと、モノのことを考えてる。







定期的に、整理してても、やはり、服や靴、増えてる。



きもちよく適量で生活したい。


その一方、新しいものを選んで、買って、装うときめき。



高揚感。

買い物セラピーのような効果。



あぁ、果てしない自己矛盾スパイラルであることにも、もちろん気づいてるわけで。


でも、それはそういうもんなんだと、受け入れる。



自分でなんとか、できるし。



問題は、いざないと困るかな、って類いのものだ。


そんなにきれいでもない、コード類の予備。





必要なときにわざわざ買いにいくのも煩わしいから、ついつい、とってある。



でも、その、いざというとき、に出会ったことがない。

不思議だ。なぜおいておくのか。


なぜなんだ、わたし?


そう思いながら、また同じ定位置に戻す。



あとは、子どものおもちゃ。付録の教材、などなど。





増える。増えてく。


こっそり処分してると、


まま、あれ、ないよね。すてたの?

とゴマカシがきかない息子。


えーー、ながいこと、見向きもしてなかったのにぃ?と思うが、嘘はつけない。


これから、増えすぎて処分するときには、ちゃんと相談することにした。


ちょっとした発泡スチロールのかけら、とか、紙切れ、なんだけど、




それは息子にしてみたら、動物のごはんだったり、飛行場だったり、
見立て遊びの宝物だったりする。




家族に強要するのも酷なので、せめて自分は、風通しのいい空間を作りたいよぉ。



少しずつ、学びますけどね。

どういうものが、長年、自分の心の飽きに堪えずに、持っておきたいものか。


もう、限りなくシンプルでオーソドックスなものばかりなのですねぇ。


何かのときにいいわ、ちょっとしたパーティーとか、お食事とか、
と、うわぁぁぁあとテンション上がって買ったものは、なんだか冷めるのも早い。


激しい柄もの、とか、毎回クリーニングにに出さなきゃいけない、とか、買った瞬間から手のかかるもの。





第一、ちょっとしたパーティー、ないない(笑)

ちょっとしたお食事も、子どもが小さいと、そんなにない(笑)


あっても、オーソドックスな服に、きれいな巻物とかアクセサリーで、見違えるし。




買う姿勢から、ちょっとずつ学習し始めた。


日本という国にいる限り、モノとの向き合いは、一生の修行になりそうだ。














女の旬。

05月15日(火)
椎名林檎さんの、[旬]という曲を初めて聴いたとき、思わず、五度ほど繰り返し聴いた覚えがある。




歌詞の吸引力に、ただ、黙ってしまった。



美しくいなければ、若々しくいなければ、という強迫観念。




林檎さんは、こんなことを突いてくる。

女にとって、皆が思う旬の時期を過ぎたとしても、あなただけは、私が生きているかぎり、ずっと旬だと思わせていてほしい、と。


このブログでは、歌詞を引用するのは控えるので、ぜひ、オリジナルを見てくださいませ。


刺さる言葉で迫ってくる。



すさまじい。


が、少なからず、女ってこういう生き物だよねって思わされる。



逆にいうと、大勢の人からチヤホヤされる時期←これまた、個人差あるにしても、そんな時期を過ぎたとしても、誰か1人の人が、おばあちゃんになったシワをも愛してくれたら、生きていけるよね。


よくわからないチヤホヤより、確かなものがほしいんだよね、と。



幸いにも、わたしは、母から"女は愛嬌"と言われた記憶がないし、若いときにも、さほどチヤホヤはなかったけど、


しかし、シミができ、白髪を発見し、客観的に若いと言われる年齢を過ぎたら、

そんなこと関係ないよ、と心底言ってくれる人がほしかった。



だから、結婚して今にいたるわけだけれど、結婚という形自体が確かなものというわけではなくて、中味を確かなものに作っていかなくてはいけないと、かみしめてる。




そして、今日また、女の旬について考えてしまう映画を観た。


蜷川実花監督の、[ヘルタースケルター]。


主演は、沢尻エリカさん。



リリコという、若い女性の美のアイコンは、メディアの寵児、スターダムにのしあがる。


雑誌にテレビにCMにと引っ張りだこだが、所詮、美のアイコンは、消費される存在。次なるアイコンが登場し、リリコは自分より若い女性の美しさに嫉妬し始める。



さらには、リリコは全身整形してできた産物。もっと美しく、という欲望には際限なく、崩れていく容貌に、精神的にも崩壊していく。


リリコは、孤独から逃れられない。誰が私を愛し、必要としてくれるのだろう?


消費され、忘れられていくだけなのか?



これまた、すさまじくおもしろかった。



リリコほどグロテスクじゃないにしても、私の心の中にも、ミニミニリリコを飼っている。



小欲知足って事あるごとに言い聞かせるのは、それを実践するのが実際にはとても難しいことを知っているからだ。



しかし、はたと思う。



自分が、いわゆる旬かどうかを葛藤する時期が過ぎてからのほうが、毎日はおもしろい。

どう思われるか、より、どうありたいか。




世の旬は、常に移り変わっていくのを受け入れていく、達観。


自分は、地に足つけて、素足のきもちよさを感じながら進んていくのが気持ちいい。



佐々木さ、若くなくなってからの人生のほうが長いんだよ、と奥行きある微笑みで、大坪千夏さんがかつて教えてくれた。




と思うと、蜷川実花さん、実と花って女の一生として、いい名前だなぁ。

花が咲き、実が熟す。


数々の大女優の演出を手がけたお父様の案かどうかは存じあげないが、


美花、でないところが、深いなぁ。


しみじみ。














次々と。

05月15日(火)
今日は、健診の日。


ベビー・胎名、りぼんちゃんは、8ヶ月半ばを迎えてます。



職場の気遣いや、家族の協力のおかげで、以前問題になってた、切迫早産の危惧はひとやま越えたので、ほっとしていたら、



次は、りぼんちゃんがだいぶ小さいとの心配が。



2週後に、いわゆる正常範囲に戻っていないと、入院になるやもしれないとのこと。





お医者さまからは、お母さんが今赤ちゃんにしてあげられることは、ゆっくりです、ゆったりです、と再三念押しされました。



今、全ての活動は最小限にしてるつもりなのですが・・・これ以上、どうゆったりすればいいんだろう?


次から次へと、心配ごとはやってきます。



あぁ、息子のことばかりに気をとられて、りぼんちゃんのこと、あまり考えてあげられないのかも、ごめんなさい。



でもね、なんだか、根拠はないけど、大丈夫って思えるのだ。


医療が満足に受けられない、いや、そもそも医療自体が不足してる国々で、母たちは、圧倒的な底力を見せていた。

私の心に、いつも焼き付いてる姿。




前回の無頓着ハッピー妊婦とは違って、今回、初めて学び直してる感じだから。




妊婦だからって甘えたくないって、以前は気を強くもてたけど、


やはり、新しい命を無事に生み出すことは奇跡の積み重ねのようなことで、ありがたく、



時には、今、自分をいたわり、周りにも、申し訳ないけれど、できないことはできないと告げる。



隠れ負けず嫌いの私としては、人ができることをできないと言ったりするのは絶対にいやで、じっくりとパワフルで、大変なことを涼しい顔でやってのける自画像に憧れがあった。



でも、今回、わかったわ。



時には、無理がきかないときもある。
そんな自分もいる。



申し訳ありませんが・・・と人に助けを求める勇気も必要だ。



りぼんちゃん、いろんなことを教えてくれるなぁ。



ありがとう。







病院のはしご。

05月14日(月)
すごくリラックスした、楽しい週末を過ごしたと思ったら、




日曜日の朝から、息子の胸がひゅうひゅういってる。




鼻もたれてる。



あぁ、空気が変わったり、少しひんやりすると、すぐに喘息気味になる。


準備は万全にしてあったんだけどなぁ。




しかたないです。夫も小児喘息、だいぶ苦しかったようだし。


息子は中耳炎にもなりやすいので、だいたい、あれ?と思ったときには、



小児科と耳鼻科のはしご。



月曜日の朝、申し訳ないけれど、会社はお休みして連れてった。


両方ともたいしたことなく。


3歳になって、ずいぶん、身体も強くなったねぇ、とお医者さんからも言ってもらって、ほっとした。




働くママたち、たぶん、子どもが調子悪いと、自分の具合が悪いときより、何倍も気を揉むことと思う。



生放送を抱えてるときは、会社も休みたくなかったから、息子の調子が悪いときは、ばぁば頼みだった。




ひとりでは、なかなか両輪を回していけないけど、


でも、確かに、たくましく、帰り道には、走り回って、あげくにふざけて、私のスカートに潜り込む姿を見てると、


これもあと数年、また、思い切り働けるときもくるだろうと、自分に言い聞かせる。



















富士山、びゅーてぃふぉー。

05月13日(日)

いつ見ても、惚れ惚れする富士山だが、



やはり、晴れが似合う。



どうして、こんなに優雅な裾野の稜線になったのだ、あなたは。



圧倒的だ。


車から降りて、ちょっと深呼吸した。






胎内記憶。

05月12日(土)

なぜ、子どもが自分のもとにやってきたのか。



お腹の中は、どんな様子だったのか。


胎内記憶は、語彙が増える3歳前後に、一度だけ聞くチャンスがあるといいます。



なぜ一度かというと、そのあと、親たちが様々なことを情報として与えるので、どんどん最初のピュアな話から遠ざかるらしいのです。



うちは、既に私のお腹も大きいし、ここに新しい命が育ってることも息子はわかってるので、



既にタイミング遅し、だったのですが、

誕生日ケーキを食べたあと、初めて聞いてみました。



ママのお腹の中で、どうしてた?



お魚と一緒にいたよ。
ぼこぼこ、わくわくして、うまれてきたよ、


と言うので、またうるうるしてしまった。



ただやはり、産まれる、とかそういったことを語ってくるのは、だいぶ下の子の妊娠の影響を受けてるかもしれない。




また、まっさらな気持ちで、追加取材してみよっと。



誕生日。

05月12日(土)

今日は、息子の誕生日で、3歳になりました。



写真、木ばかりどアップだ、ごめんなさい。こんな場所に来てますが、私、あまり歩けないまま、ベンチあたため中。


夫と息子で、あれやこれや巡ってます。


今朝、3歳だねぇなんて話をしながら、息子はいろいろ考えたのか、



赤ちゃんのとき、歯磨きできた?
赤ちゃんのとき、お片付けできた?
赤ちゃんのとき、ひとりでおもちゃで遊んでた?




とあれこれ質問が。



産まれたときは、歯もなくて、あーあー泣いて、おっぱい飲んで、ねんねしてたよ、


いろんなことができるようになったねぇと答えると、



がばっと抱きついてきて、

まま、だいすき!



ですって。



泣くなというほうがムリです。


じんわりしちゃった。



3年前、産まれてきてくれてありがとう、ママはママになれてうれしいよー、とこれまたむぎゅうとしながら語ってしまいました。




こんな、くさい話も息子ができてから、平気になってしまった。




でも、言葉でも、言葉以外でも、伝えたいって素直にそう思います。









お弁当マジック。

05月12日(土)

いつもの、そぼろご飯も、お弁当箱に詰めてあげると、




息子、食欲倍増!



おかわり!と私の分まで平らげました。



私も好きだった、母のお弁当って。




なんだか、自分のために作ってくれた、あの特別感、言葉にせずともメッセージされてるのかもしれないですね。






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