オンエア後に。

07月08日(日)
西日本の豪雨。

まだ雨が続いている地域もあります。被害の全容も、まだわからないままで。
言葉だけでしかないのが本当に心苦しいけれど、これ以上被害が拡大しないことを切に願います。





今朝の『報道プライムサンデー』は、オウムの起こした一連の事件から、何を教訓にするのか議論しました。


ジャーナリストの江川紹子さんが最後におっしゃっていたのは、

一番教訓にしないといけないのは、人の心がとても脆いということ。
誰であれ、エリートであろうとなかろうと、親子関係がうまくいっていようとなかろうと、タイミングと状況次第で、誰でも(カルト的なものに)入り込む危険があるという意識を持たなくてはいけないと。


たしかにどんな事案であれ、一部の特別な人たちの暴走だと切り捨てれば、自分とは縁遠い出来事のまま終わった気にもなれますが、そんなはずもなく。
自分たちが構成する社会の中から生み出されたものだと考えて、初めて次に生かす教訓が見つかるように思います。



宗教に限らず、生き方、こころの扱い方を指南する発信も数多溢れています。
わたしも時々読みます。
ひとは潜在的に道しるべを求めたり、誰かに正解だよと示してほしいという欲求が根深いのだと感じます。


何かの考え方に触れて、これもたくさんのヒントのうちのひとつ、知らないことに目が開かれてよかったと思うのか、

これ以外はないと盲信してしまうのか。


境界には何があるのでしょうね。

自分が自分を保っているのは、最終的に人生を人に決められたくないという自負と、職場や家族や友人や、いざとなったら頼れる人がいると思えている関係性があるからかもしれないし、正しさや答えを求めていないからかもしれないです。
わからないなりに進む道やストーリーに意味があると思うから。





番組終了後もゲストの皆さんと、社会的な孤絶が何を引き起こすのか、話は尽きませんでした。

事件のことを知らない若い世代も増えていきます。
未来に楽観できないこともたくさんあります。
だから、経験した世代が語り継いでいく必要があるなと改めて思う朝でした。














まるで信じられない。

07月05日(木)
タイトルの主語と目的語は、ずばり、「自分が、自分を」である。


先取り段取りいのちだなんて調子よくブログに書いてきたが、、、甘かったね、わたし。直前にはたと気付いて焦ることばかりが増えた。
年齢なのか、怠惰なのか。

毎日、どなたかになにかを心底お詫びしている。

前向きに考えれば、それでも周りの方々の優しさのおかげで、大事に至らずなんとかはなっているとも言えるのだが、このジタバタは一気に老け込みそうだ。笑

自分の仕事、家族ごとの細々とした日程やイレギュラーなことが日々ある。急なイレギュラーに対応できるように、先手早めで準備しているつもりなのに、最近顕著なのは、ひとつイレギュラーなことがあると、玉突きで引き起こされる様々なことが、すっかりすっ飛んでしまう。
点では把握できていることが、線で繋げていったり、全体を俯瞰できなくなっている。

昔から、パズルとか苦手だし興味なかった、、のが関係あるのかないのか。笑

しかも、家族ごとの調整も、うちは私だけでなくオットや祖母や様々な手を借りているので、逆に情報共有し忘れることも多々。

20代から30代の、仕事漬けの日々に相当鍛えられて今が楽しくもなっているから、この年代の、自分以外のことにも奔走する毎日の中で、きっと何かが鍛えられてると信じることにする。それが何かは渦中ではわからないことも多いのだけど。


そんな中で、親ばかと承知しつつ、いい芽吹きもあった。
最近、朝起きると息子は目玉焼きを自分で焼いて食べるようになった。
理由は、ママが作るとおいしくないからだそうだ。確かに、火をかけながら洗い物したり、夜ご飯のことを考えたり、毎日完璧な焼き上がりとは程遠いし、お腹に入ればなんでも同じ、つべこべ言わずに食べなさいと強要する粗雑な母だ。

親の不出来を逆手にとって、自立心が芽生えるなんて。悶絶寸前の毎日の中でプチしあわせなことだった。





ありがとうがいっぱい。

07月03日(火)
昨夜は、というか今朝は、1度寝てワールドカップ・日本対ベルギー戦に備えました。

『報道プライムサンデー』でも2週にわたってサッカーの特集だったので、期待感ワクワクで、目覚ましなしでも早目に目が覚める。

やってみるしかない、
諦めない、
腹をくくる、
最悪な状況でも、何かプラスに行動し続ける、
仲間を信じる、
時には上に立つ人が弱さもさらけ出すからこそ、強くなっていく組織。

全てが詰まってましたねぇ、、、。

プレーはもちろん、インタビューの言葉の端々から、その方の信念や、言葉とプレーの一致したありように、感動とか絶叫とか興奮を越えて、あぁ、この瞬間を忘れないという思いで観ておりました。
素晴らしいものをみせてくださり、ありがとうございました。 西野監督、試合後のインタビューで、(勝ち切るには)何が足りなかったんだろうか、、、とおっしゃっていた一言が、特に心に残りました。これからさらに高みに進む予感、というか、絶対そうなるという確信になった気がします。 メディアの一員かつ、普段から熱心なウォッチャーを語れない身として恐縮ですが、こんなに気持ちのいい下馬評の裏切り方、◯◯の奇跡だのなんだの勝手にネーミングしがちですが、そうじゃないだろうとも思うのです。 奇跡的な何かを引き寄せてるどころか、引き起こす程の能動的な行動の賜物なんでしょうねぇ、、、。 観終わったあとの余韻と、おばちゃんゆえ二度寝できないお年頃で、結局そのまま1日がスタート。 今日は仕事が夜にかけてですが、がんばろーっと。

ずっと蓋をしていた気持ち。

07月01日(日)
仙台での研修2日目の朝。
関西テレビの石巻大先輩が、ふと優しい声で問いかけてくださいました。
「佐々木さん、阪神淡路大震災のとき、、、、どうだったの?」。

家が全壊になったんですよね、と続けながら、これまで何度も反芻した記憶どおりに、自分の中の定型として話を進めました。
その時は横浜の社宅に引っ越していて、父が週に1度甲子園の実家に帰っていたこと。
父は前日に東京に戻っていて、誰も直接は被災しなかったこと。
家だけが全壊になって、すぐに取り壊したこと。
両親は退職後、その家に戻るつもりだったこと。
でも更地になった土地を手放し、今、両親と東京で2世帯同居していること、等々・・・。

石巻さんも、場所柄、23年前に被災をされています。経た時間の持つ意味を話しながら、1人になった時にふと涙がつつつとこぼれました。発災当時は泣くことはなかったのに、です。
なんだ、この気持ち。
もう随分時間も経って、わたしには今の日常があって、すっかり自分の中で「。」終止符がついた記憶になっていました。

でも。そのあと考えていて、気づいたのですね。ずっと、”自分が被災者であると思ってはいけない”と封じ込めていた気持ちに。

家族は無事で、家も思い出の品も写真も、まるでなくなったけど、直接怖い思いをしなかった、それだけでも有難いし、ましてや、本当に怖い思いをした友人・知人たちにどこか後ろめたい。

よく被災地の取材に行くと、「もっと大変な経験をされている人が多いから、自分の不満や要望など、とてもじゃないけど言えない。」と聞きます。
人としての思いやりや共感の力ってすごいな、、、、と思わされます。と同時に、辛いとか悲しいとか感じる気持ちを自分に許せていない状態なのだとも思います。

「こんなこと、大変だって言っちゃいけない。命があるだけでラッキーだ」と
家族でも何度も言ってきました。それが前向きな力にもなってきました。
しかし、その後の人生の選択に、被災をしたかたどうかが影響しないわけはないのです。
特に両親にとっては。
帰る場所を手放し、縁の薄かった土地で暮らし続けることを選びました。
それが良かったのかどうかは、わかりません。
自分が子を守る立場になって、あの時の両親の気持ちが理解できることも増えました。現実的な、数少ない選択肢の中で、その時のベストを選んだつもりで今があるのだと思います。

ふと問いかけてくださったことで、私の中に「悲しかったと言っていいんだ」と許可できた気がします。
私も、当事者の一人だったんだよね、と。
気づけたことで、ずっと蓋をして重くなっていた感情が、手放していけるようにも思います。

研修の中や、東日本大震災の語り部の丹野さんのお話の中で、何度も「終わりはないのだ」という言葉を聞きました。
そして、被災した人の数の分だけ異なる物語があるのだということも。

心が再生していくのは、時間も必要だけれど、人と人とのちょっとした関わりや、親身な受け止め方一つで、記憶が編集され、強くなっていけるのも、また人のチカラだと思うのです。

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