「 」に宿るもの。

03月30日(木)
3月末、痛ましい事件や事故が多くて、ニュースを見聞きしながら胸がつぶれるような想いをした方も多かったのではないでしょうか。


とくに、雪崩事故で我が子や我が友達を亡くされた方々が気丈に話してくださった「 」から、亡くなられた若き方々の人柄がたくさん伝わってきました。

「もっと話をしたかった」
「器の大きな人だった」
「お兄ちゃんお兄ちゃんと妹がずっと泣いている」

当事者にも、当事者の周りの方々にも、個々に固有の人生があるのだと、思い知ります。


被害者の数字だけでは伝わらないもの。


同じくして、2015年にノーベル文学賞をとったチェルノブイリ原発事故に関わる人々の、「 」を集めた本を読んでいました。


もちろん、科学的な検証等、全体像をとらえていくことが大事なうえで、個々の人生を残し、綴ることの意味を感じます。

遠い地の出来事が、ようやく温度をともなって伝わってくる。

初動の事故対応にあたった若き夫婦の看病のあり方、住んでいた場所に想いが残る人々の手紙、子どもを宿すこと自体に罪悪を感じる妊婦さんの葛藤、など、

ものすごく皮膚感覚としてずどんと届き、近い出来事になる。


「 」は、毎日いやというほどいろいろなことが起き、どんどん情報が押し寄せる中で、その流れに楔を打ち、自分ごととして考えていくきっかけになり得るのだなぁ、、、と思います。















ふんわりと柔らかな。

03月29日(水)
普段から、言葉が好きで、言葉を通して何かを考えるわけですが、先週休んでいるときには、緩むのが目的だったので、ほとんど、わぁーとか、すごーいとか、感嘆詞のみで会話をしていたわけです。

語彙なかったぁー。笑

学生さんの自己PRや、我が子の日記だと、必ず聞くところです。

何がどうすごいと思ったんだろう?
何にワクワクしたの?

そんなことを、一切忘れてました。笑

とブログに書き始めると、そうだ、言葉でなく、目一杯体感する旅になったのだなぁ、、、と段々腹落ちしてきます。


おもしろいものですよね。

日々、言葉にならないようなきもちが多いわけですが、なんとか言葉にしようとひねり出すから、記憶としてフォルダ分けされ、整理され、時間が経っても取り出し可能なものになっていくのかもしれません。


言葉にする前は、なんだか、心を占める大きなふんわりした、もわっとした固まりのような感覚。

それをそのままに取っておくのもいいですが、、、深く沈殿していったあとも、何かしら言葉にしたくなる性を感じております。


言葉にできるというのは、何かしらその体験がようやく自分のものになっていくような。


だから、改めてわたしにとってブログは大事な場所なのです。


何かを思い出して言葉にして書くときに、そのときの身体で感じた興奮とか痛みとか、様々な感覚まで追体験しているようで。

何のためにもならないかと思いますが、(汗)今日も読んでくださってひととき付き合ってくださり、ありがとうございます。





おやすみをいただきまして。

03月28日(火)
この1週間、勤続20年休暇で1週間のんびりしてきました。

今回ばかりは上げ膳据え膳、まったく家事をしなくていい旅に出ました。

それだけで、極楽だったぁ、、。



日がな水平線と地平線が同時に見える広大な場所だったので、それはそれは日々の小さなつまずきや凹みが、一旦脇においてどうでもよくなる溶け具合でした。


土地のお酒を飲む楽しみはなくなり、となると食への執着心もやや薄くなり、寂しいものかなぁと思っていたら、朝のランが始まったおかげで、旅先でもすこぶる楽しく。


大きな大きな朝日の中、ゆったり走っていると、あまりの気持ちよさにひとりでテンション上がって、フォー!などと叫んでおりました。

意外とアクティブな自分に驚いています。笑



20年の間にテレビを通して出会ってくださった方々、、直接出会ってくれた人、チャンスをくれた人、いい影響をくれた人、仕事を通して行けた場所、経験、全てがわたしひとりではできなかったことだらけでした。

いまや、すごく叱られたこととか、怖くて近寄れなかった人こそ、ありがたくも思います。


人に厳しくするのは、優しくするよりエネルギーが必要。
ましてや、人に厳しくするのは自分に厳しくなくてはできない。


自分を高めていくとともに、ますます次の世代の人にお返しをしたい、、、という思いが強まります。


そして気づけば、第一子がお腹にいるときから考えれば、もう8年。

仕事人生の半分、、、とまではいかなくとも、けっこうな年数を、家族がいるから踏ん張れたんですよね。

もう、自分のためには頑張れなくなっていた時期。
途上国取材の報告会で、全国各地を周りながら、人とのつながりを熱く語って家に帰った途端、あまりのひとりっぷりに、泣き笑いしていたこともあったなぁ。

不安定にもがいていて、数々やらかしたことも思い出したり。


どの仕事にも、もっとやれたかもしれないなぁ、、、と少しの悔いはなくはないけれど、いつもそのときの精一杯、、、だったのかもしれないです。



今朝はいきなりの日常で、洗濯4回、病院3軒とやれやれ、、、ですが、笑、これからまた心をこめて、今ここの瞬間をやりきっていきたいです。







反転。

03月18日(土)
今朝はオットが早くから子どもたちを連れ出してくれたおかげで、いつもとは違う時間にランニング。5キロの旅。


よ、、よ、、、ようやく5キロまできました、、、。


あ、その前に。娘は、パパが帰ってくると、ママは人気ないんだよねぇという女子らしい一言を残して出かけていきました。笑



さて本題。
一気に春めいた今日。
近隣の幼稚園や小学校では卒業式で、町中でもそこだけエモーショナルな風景。

自分の卒業式のことも思い出して。

もう会えないねとあんなに泣いたのに、それぞれみんな、いまはいまを生きている。
かつて過ごした時間の記憶は、時々濃くなったり薄くなったり、まるっきり忘れていたり、でもしっかりといまの一部になっている。

きっと、今日卒業して涙する人たちにも、これから、またステキな出会いがあるんだろうな。



と同時に、自分の小学校の卒業式に母がハンカチで涙を拭う姿を思い出しました。その頃、???なんでおかあさんが泣くん?と不思議だったんですよね。

なんでおかあさん泣くの?

大きくなったと実感するからよ、というやりとりまでしたことも蘇る。


いまは、、、少しずつわかります。


教えてるつもりが、教わってる。
差し出してるつもりが、それ以上にもらってる。


その反転にふと気がつくときに、家族のみならず、仕事場でもそれ以外でも、あぁ、豊かな時間なんだなぁ、、、と思う瞬間があるのです。


そんなことを思いながら、柔らかな暖かな朝を、軽快にとはいかなくても、どしどしと進むのは、きもちよいスタートでした。
ついこの間まで、空気を切り裂くように進んでいたのに、いつしか、ふんわり包み込んでくれて。

穏やかな週末をお過ごしくださいねー!


















前へ  1  2  3  4  次へ