新・週刊フジテレビ批評

The 批評対談

『あれから7年…地元局が伝える東日本大震災』

DATE : 2018.03.10(土)

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井上さん。
撮影時に井上さんが驚いたこととして、「沖で白波が立って、この街をのみ込むまでの速さ」とした上で、「津波だと気づいてから逃げるのだと間に合わないのではないかなと。それほどあっという間に街をのみ込んでいった。地震があったら高い所に逃げることを徹底しないといけない」と語った。
井上さんが恐怖と戦いながら懸命に撮影した映像。沖に立つ白波を見つけ、カメラを回したのが午後3時20分ごろ。リポートは井上さん自身の声。それからおよそ2分、岸壁を越え、道路に流れ込む津波を捉えた。その直後、井上さんが語っていた大きな音が聞こえ始める。そして、津波が街をのみ込むまでの時間は白波を見つけてからわずか5分。井上さんはカメラを手に、自らの声でその一部始終を伝えた。
「あの瞬間を撮った者としては、震災を今後もずっと伝え続けないといけないだろうと感じている」と井上さん。
井上さんは震災後も引き続き宮古支局に住み込み、2012年に「新・週刊フジテレビ批評」で取材した際も毎日沿岸部に足を運んでいた。2014年に盛岡の本社勤務に戻ってからも、週1回「響け!復興の槌音」というニュース番組の震災企画を中心に被災地の状況を伝え続けた。
「年数が経つと震災の話題もだんだんトピックスがなくなってくるが、その中で、ともすれば内陸にいると沿岸の取材をしようと思わないとなかなかできない部分がある。意識的に伝えていかないといけないという意味で、岩手めんこいテレビでは毎週木曜日に『響け!復興の槌音』というコーナーを作って、これまで伝えてきた」と今までの経緯を振り返る井上さん。

これまで7年間、被災地の人々に関する700を超える企画を放送してきた井上さん。
その中でも印象深かった取材先を一緒に訪ねることにした。そこは海沿いのモダンな建物が印象的なカフェ「異人館」。あの日、ここにも津波が押し寄せた。壁や室内の備品は流されたが、奇跡的に建物は残っていた。
カフェ「異人館」のマスター・安倍主税さん。井上さんは津波から2週間後の避難所で出会った。安倍さんとカフェ「異人館」に関する取材は、あの日を語ることから始まった。安倍さんに当時の状況を改めて聞いた。
「漁船の浮輪が近づいてきた。『これは本当に天の助けだ』と思って、それをつかんで腕を通したら沈むことはない。だから仲間の消防団員は線路を私を見ながら走ってくれているが、手を振って『大丈夫だから』と言って流されていった」と安倍さんは体が浮いていた当時の状況を振り返り、「がれきが浮いている。その下に津波の水が吸い込まれていくから、自分の体も一緒に中に入ってしまう。そうすれば息がしたくても、上ががれきでふさがっているから息ができない状態になる。だから黒い水を何回も飲んだ。飲んでも不思議とその時は苦しいと思わなかった」と語った安倍さん。
今でも忘れることのできない壮絶な体験。2012年3月、安倍さんは国や県から再建費用の支援を受けられることを知り、津波被害に遭った建物を修復し、カフェを再開しようと決意し、動き出した。井上さんは2014年4月のカフェのオープンも取材し、放送。宮古の美しい海を見ながらコーヒーを楽しめる「異人館」の再開を地元の人達に伝えたのだ。
ようやく再開にこぎ着けたカフェだったが、実はこの時ある問題も立ち上がっていた。
井上さんは防潮堤建設を巡り、各地域で起きている議論も取材した。そして、カフェの再開から1年、防潮堤工事が始まる。
井上さんは、取材を通して「防潮堤ができることによって、当然命を守るということもあるのだが、ただ、防潮堤を造ることによって膨大な維持費がかかったり、景観が失われたりする。そういった意味で、防潮堤を建てる意義をもっと議論を深めていくべきなのではないかなと感じながら取材をしていた」という。
安倍さんは「防潮堤はやはり必要だと思う。閉じなければ波が他の集落に入っていくもの。だから閉じなければダメだから、それは仕方ないと思う」と心境を述べた。
宮古の海の眺望が魅力だった「異人館」。取材したこの日、店の前の大きな防潮堤を渡辺アナも目の当たりにした。井上さんにとって最も長く取材することになった安倍さん。被災地の取材をどう見ているのか?
「私の体験が残るというのが一番あるのでは。それに放送を通じて、他の地域にも発信される。『この街は終わった』とみんな思った。だから従業員を集めて『がんばろう』と言って、その足で橋から飛び降りた社長さんもいる。先が見えない。だから大丈夫、他の地域でもこういう大災害があった時ももう少し時間を待っていけば支援の手が来るなど、そういったことを知ってほしい。この間の東日本大震災の時は、こういうふうに国や県・市の方で援助が来た、そういう例をよその人にも知ってもらわないと。いきなりだから。だから私は今まで取材を受けてきて良かったのだなと思う」と自らの体験を他の地域の人々に伝えることの大切さを述べた安倍さん。

もう1人、井上さんが取材した中で心に残る人物がいた。
宮古市の基幹産業である水産加工業。その若き経営者である、鈴木良太さん。
井上さんは「ブログで『イカ王子★』という名前で宮古の水産の元気を発信している方。イカ王子★という名前からしてユニークで、本当にイカに対する熱い思いがブログからほとばしるような文章を書いていて、それに惹かれてイカ王子★とはどんな人なのだということで、取材を始めさせてもらった」と鈴木さんへの取材を始めた経緯について述べた。
井上さんは、震災から3年後の2014年に鈴木さんの取材を始めた。
最初の放送では、宮古の水産業を巡る厳しい状況を伝えた。多くの水産加工業者が売り上げを落とす中、鈴木さんはネットで水揚げの状況や工場での料理の様子を伝え、宮古の水産物をアピールした。すると、もう1つ大きな変化があった。
震災前はライバル会社が手を組むことは考えられなかったそうだが、タッグを組んで新たな販路開拓などをしてきた鈴木さん。
タッグを組んだきっかけとして、「一番大きいのは、震災をきっかけに代が代わった」と述べた上で、「私たちがずっと父親の背中を見てきて育っていたように、会社は事業を継承していかなければならないのだが、なかなかこういう地方の会社は、それをいつやったら良いかというポイントが分からない。社長もまだまだ元気で、周りもご年配の社長さんたちが多い中で、そういうポイントを見失っていた時の3月11日があり、これを機に私たちの父親の代は息子たちに譲ろう、次に託そう。それは後ろ向きではなくて、前向きな意味で私たちもそう捉えている」と地方ならではの事業継承の難しさを語り、それぞれの思いを語った鈴木さん。
また、『宮古チームいさりび』というチームを結成し、販路の共有や仕入れなど、様々なところも4社で売り上げを構築していったという。
井上さんは、去年4月、この変化を伝える企画を放送。
そして、「『いつまでも被災者ではない』という声も聞いた。その中で頑張って先頭に立って引っ張る方たちを紹介するのも復興の大きな力になると思う。被災者イコール“不幸な"や“かわいそうな人"というイメージがつきまとうのだが、でもこうやって実際話してみると本当に元気に前を向いている方もいる。一方で、なかなか前を向けない方はおろそかにしてはいけない。だから、両面をしっかりと伝えるということがひとつ被災者と向き合うことなのかなと感じる」と両面を伝える大切さについて語った井上さん。
さらに、私たちが取材したこの日も鈴木さんが新たに開発した地元の特産品を使った商品、その名も「至福のタラフライ」を揚げてくれた。
鈴木さんは、「岩手県の宮古港が6年連続真ダラの水揚げ量が日本一。日本で一番水揚げされる数量が多い真ダラの産地。これをブランド化して町おこししたいなという思いで、今回はタラフライを様々なイベントで揚げて販売している。県外やインバウンド需要でも来た時にタラが値ごろ感があって、お腹いっぱい食べられる街となれば人を呼び寄せる要素があるなと思ってタラフライにした」と岩手県の特産品を生かして、町おこしを目指して活動しているという。
冷凍、解凍を繰り返すことでどうしても水分量がなくなり、パサパサになってしまうタラフライだが、鈴木さんたちは産地一回凍結をすることにより、ホロホロ感やフワフワ感を出せるように工夫しているとのこと。この日、井上さんも初めて味わった。
鈴木さんは「水産はどこか面白い、暗かったイメージが少し良いのではという感じになると、水産もこれから面白くなるのではないかな。面白いメンバーもいっぱいいるので、私をきっかけに知ってもらえればと思っている」と水産業の良さをアピールした。

東日本大震災から7年が経過したが、メディアでは「被災地」や「被災者の方」という言い方をし続けていることに関して、嫌だと言う方もいるとした上で、鈴木さんは「私もそう。そういうブランドがついてしまったというか、その方が伝える側が伝えやすいのだろう」と複雑な心境を明かした。
今回の取材を通じて、「年に1回、それ以下のペースでしか、東北に取材に来ていない身からすると、1回でも多く、1人でも多くの方に話を聞くことで知らないことをたくさん吸収することができ、東京の放送局もそれを多くの方に伝えるのが大きな使命だと思う。まだ7年ですが、これからも引き続き、そして皆さんがどんどん元気になっていく様をたくさん取材できればいいなと改めて感じた」と語った渡辺アナ。

VTRを見たコメンテーターの吉田潮氏は「東京にいるとキー局の番組をほぼ見る。でもキー局にはできないことがあるなと思った。井上さんが『両面を伝える』と言ったことが私は残っていて、日常の悲しみや怒りというのももちろんだが、現状どうなっているかという素直な生の声を聞き取れるのは多分地元に根付いている局なのだなと感じた」とした上で、「東京にいるとテレビ局は港区仕事。全部港区にあるから。そこを支えるでもなく、情報提供し合うのが地方局との連携の力ではないかなと思う。その辺を見たいので、キー局はそういう番組もきちんと定期的に作ることが大切なことだと思う」と東京の放送局と地方の放送局の連携についても語った。

3月11日、岩手めんこいテレビ・仙台放送・福島テレビの被災地3局では、合同特別番組が正午から放送。
そして、フジテレビでは午後1時から特別番組を放送。指示やマニュアルに従ったのに津波に乗り、命を落としてしまったのは何故か。そんな生死の分かれ目を映像と証言から検証。また、福島県産の野菜をめぐる、震災から7年が経った今も変わらない現実についての番組だ。

震災から7年、被災地を取材し、夕方のニュース番組などで情報を伝え続けた井上アナウンサーの思いや作ってきた番組について、また、特に印象に残っているという2人の取材者の率直な思いを伺い、改めて伝えることについて考えることのできた特別企画だった。



COMMENTATOR
吉田 潮 / ライター・イラストレーター


 

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