新・週刊フジテレビ批評

The 批評対談

オールナイトニッポン50年 前半

DATE : 2017.11.18(土)

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1967年に始まった、ラジオの深夜番組「オールナイトニッポン」が今年で放送開始から50年を迎えた。タモリやビートたけし、中島みゆきなど数多の名物パーソナリティがこの番組から生まれ、日本の深夜を彩ってきた。50年の歴史の中で何が作り出され、何が語られてきたのか。その様を間近で見続けてきたアナウンサー、ニッポン放送パーソナリティの上柳昌彦氏をゲストに、編集者・ライターの速水健朗氏が斬り込む。
上柳氏は、1981年ニッポン放送にアナウンサーとして入社。様々な時間帯の生番組などを担当し、今年定年退職の後も引き続き「上柳昌彦あさぼらけ」「金曜ブラボー。」などのパーソナリティとして活躍している。
まずスタジオでは「オールナイトニッポン」歴代パーソナリティ一覧のボードを用意。このボードは、BSフジの特別番組で使われたもので、小さな文字で書き込まれ、長さ4m。さらに2列にわたっており、いかにこの番組の歴史が長いかが分かる。
上柳氏が担当していたのは、1983年3月からの3年間。上柳氏は今回「オールナイトニッポン50年」の歴史を語るが、パーソナリティとして担当した年数は少ないことを明かした。
今回、多くのラジオ番組で「新・週刊フジテレビ批評」に出演すると宣伝したとのこと。そして、「たくさんのリスナーの方が今ご覧になっていると思うが、お前が言うか!という感じだと思う」と述べた上で、36年間社員だったため、様々な時々にニッポン放送におり「僕の仕事仲間が苦労していたということがあるので、少しは語れるかな」とした。
また、「今のラジオも若い連中が一生懸命作っているということを是非知っていただきたい。その役目で来ている」と、今回出演する目的について語った。
歴代パーソナリティの一覧を見ると、当時を振り返り、懐かしい気持ちになるという。上柳氏と同じ時期に第一部を担当していたのが中島みゆき、上柳氏と中島みゆきは親交があった。上柳氏は「みゆきさんは、なかなかお会いすることのできない方というイメージがあると思うが、スタジオが当時一緒だった。みゆきさんが1時〜3時までやり、みゆきさんの曲がかかってCMが流れて、時報が流れる間にバタバタと入れ替えをしていた」と当時の様子を振り返り、「僕がパッと椅子に座ると、みゆきさんのお尻の温もりがほわんとなる」とスタジオを和ませた。
その当時はそれが当たり前だと思っていた上柳氏だが、今考えるととんでもないことで、貴重な経験だったと感じている。
上柳氏は、中島みゆきが真摯な姿勢でマイクに向かっているところを脇からよく見ており、「本番前はジーッと黙ってハガキを並べて、赤いペンを持ってずっと線を引いていた」と、当時の中島みゆきの様子を明かした。
渡辺アナは、中島みゆきの存在を知ったのがラジオだった。暗い曲と明るいトークとのギャップがあった中島みゆき。渡辺アナは、ラジオで明るいトークをする中島みゆきから知り、そのあと曲を知ったという。

一方で、「オールナイトニッポン」が始まったのは1967年、当初はニッポン放送の社員のアナウンサーやプロデューサーがパーソナリティを務めた。
「1時〜5時まで1人で、ディレクターも1人。深夜に2人きりでやっていた」「今、スタジオで数えたら10人以上いる」と当時と現在のスタジオの様子の違いを述べた上で、今後ラジオは以前のように少人数でやるようになるかもしれないと上柳氏は感じている。
実際に上柳氏が現在パーソナリティを務めている朝のラジオ番組では、制作スタッフと出演者で計3人で放送している。
上柳氏は、経費削減という一方で、「それはそれでまた面白い」と語った。

時を追うごとに様々な著名人の方が出演していく「オールナイトニッポン」。伝説的なパーソナリティとして所ジョージ、同じ時期にタモリ、さらにこの後長く続いたビートたけしの名前もある。この3人の存在感は大きい。速水氏は「僕は時代的にはビートたけしさん。この表で見ると1985、86年以降なので、後半期」と述べた上で、「記憶では、あまりたけしさんが喋っていた覚えがない。たけし軍団の方々がワッとスタジオの中にいっぱいいて、ずっとたけしさんいつ喋るのかな…?そしたら『今日は休み』と。そういうことが多かった気がする」と、ビートたけしがパーソナリティを務めていた当時について振り返った。
上柳氏も「たけしさんの後半は、もういらっしゃるかいらっしゃらないか。いらっしゃらないと僕も呼ばれて、何とか2時間やってくれ、ということはよくあった。直前まで分からない」「お化けが出たから今日は来ない」など、ビートたけしさんがパーソナリティを長く務めていた当時の状況を明かした。

速水氏は小学6年生の頃に「オールナイトニッポン」を、頑張って夜起きて聴くようになったが、最初に聴いていたパーソナリティは第一部のABブラザーズだったという。そしてハガキを投稿していたのは、火曜のとんねるず。
この火曜のとんねるずは、「クラス中、皆が聴いていて、前の日の放送のネタが話題になった」とその人気ぶりを語った。
また、高校生時代にはまだ無名の伊集院光が水曜の二部を担当。伊集院光は、当時、ラジオ雑誌でダントツ人気No.1で、知る人ぞ知るラジオの中での有名人だったという。速水氏は、最初は伊集院光をオペラ歌手だと勘違いしており、本人もそう言っていたと述べると「落語家さんだったのだが、師匠にも言えずにオペラ歌手だという前提で出ていた」と、上柳氏が裏事情を明かした。
また、「夜中3時からの放送だが、昼12時過ぎにはもう会社にいて、ずっと喋っていた」と言い、まだ無名だったため暇でハガキを選びながらずっとお喋りしていたという当時の様子を述べた。
速水氏は、伊集院光が水曜の二部担当だった時は、次の日に学校があったが、その後金曜の二部になり、週末に向けて夜更かしができるようになったことを振り返った。オールナイトニッポンは、無名の人が人気者になっていく登竜門でもあった。

TBSラジオの「パック・イン・ミュージック」という深夜放送番組では、ミュージシャンやフォーク歌手が出てきて、コンサートの曲の合間の面白いお喋りをラジオ放送でやり始めた時、そっちにリスナーが流れていったという。
そして、ニッポン放送も頑張って様々なミュージシャンを起用。また、「知らないやつを連れてこい」ということで、「突如、タモリさん、稲川淳二さんも全く無名な状態でいらっしゃった」と、70年代に無名の人物をパーソナリティに起用し始めたことを振り返った。山下達郎も当時はまだ有名ではなかった。
山下達郎は当時、洋楽をずっと流していたという。その理由は「お喋りをもっとしろと言われたことに反抗して曲をかけていた」とのこと。
山下達郎は、「マニアックな曲をかけ過ぎてクビになった」と言っており、今ではラジオで落語家のように喋るが、「当時は曲ばかりかけていた」と話しているという。

タモリは、1982年から「笑っていいとも!」が始まり、当時昼は「笑っていいとも!」、夕方の帯をニッポン放送の番組、夜は水曜の「オールナイトニッポン」を担当。そのため、水曜日はニッポン放送のロビーでよく寝ていたという。

渡辺アナが一番印象にあるのは、福山雅治の「オールナイトニッポン」二部時代。渡辺アナが高校生の時で、何とか夜更かしをして聴いていたが、次の日は眠くなっていた。福山さんが一部に上がる時に、やっと早い時間から福山さんの話が聴けると思った、と当時を振り返った。
二部の担当が一部担当になることは人気の象徴でもあったと上柳氏も振り返った。
加藤いづみ、古内東子など女性のポップス歌手も「オールナイトニッポン」が名前を知られる登竜門だった。渡辺アナもラジオで2人を知った。古内東子がドラマの主題歌を歌うと嬉しくなり、あの古内さんがテレビで活躍するのだ、という気持ちになったという。
上柳氏もそのような嬉しさはあると言い、「WANIMAというやんちゃな3人のお兄ちゃんたちが『オールナイトニッポンZERO』3時〜5時をやっているが、このWANIMAのお兄ちゃんたちがフジテレビのドラマの主題歌を歌うと聞き、そこまでいったかという気持ちになった」とのこと。
速水氏も「自分だけが知っているという感じがラジオにはある。そこからどんどん広がっていくと、そこにいてほしい気持ちがあったり、活躍しているなという気持ちになったり」と、ファン心理にはラジオならではのものがあると述べた。

この「オールナイトニッポン」歴代パーソナリティ一覧のボードは、BSフジが作成したもので、上柳氏は「あまりに素晴らしい。何の間違いもない。最新のところまで載っている。これをニッポン放送にいただいて玄関に貼りたいとお願いをしているところ」だと述べた。
今回のBSフジ特番は、ニッポン放送の普段収録している小さいスタジオに4台ほどカメラが入り、能町みね子、久保ミツロウ、現在「オールナイトニッポン」の深夜担当の乃木坂46新内眞衣、上柳氏の4人で、様々な歴史を振り返ったとのこと。
「ビートたけしさんやナインティナイン岡村さんや笑福亭鶴光師匠のコメントをいただきながら振り返るという番組をやらせていただいた」という上柳氏は、「本当にこのボードは重宝した。絶対にほしい。これだけのことをラジオ屋さんたちとパーソナリティが侃々諤々やりながら、喧嘩したりガッツポーズしたりしながら、今でもやっている。愛おしいボード。」とボードの完成度の素晴らしさについて述べた。

無名の方が起用されて人気者になっていった一方で、中には大丈夫?と起用された方もいたという。
大槻ケンヂは筋肉少女帯というバンドで出てきて面白かったという。上柳氏は「彼は恐らく演劇の世界にいっても名を成しただろうし、文才もあるし、小説も書く人だから」と大槻の多才さを述べた。
「オールナイトニッポン」の担当が決まった時に「何を間違ったのか、相談してやったのかどうかは分からない」とした。
上柳氏は大槻ケンヂの担当の前の12時〜1時の時間帯を担当。大槻には何回もゲストで来てもらい、よく「オールナイトニッポン」までできるようになって良かったと思い、次の大槻へと振ったが、「絶叫から始まった。絶叫がいつ終わるのかなと思ったら2時間ずっと絶叫。毎週それが繰り返されたが、途中で早々に果てていた」と当時の様子について明かし、「あれは間違ったというふうに自分も思っていると思う。彼は語り口穏やかでとても良い。それを掴めなかった」と制作側も本人の良さを引き出せなかったことに言及、「上手くいかなかった歴史もボードの中に実はいっぱいある」と述べた。
速水氏も当時の大槻のラジオを聴いており、シンクロナイズドスイミングの小谷実可子さんと一切トークがかみ合わないという放送があったことを明かした。
「それはそれで伝説の回なのだが、その後も大槻さんはそれをずっと引きずっていた」と大槻さんの心境についてもふれた。
上柳氏も「どうかしていた。何で大槻ケンヂさんに小谷さんなのか、意味が分からない。化学反応を期待したのだろうが、それは無理というものがある」と述べた。

そして、「オールナイトニッポン」のテーマソングである「ビター・スウィート・サンバ」(ハーブ・アルパート)。これを聴くと「オールナイトニッポン」の曲だ!と思うほど有名である。高崎一郎氏がこの曲を選曲、最初からこれにしようと決めていたのだが、「都市伝説のように、ディレクター・ADが間違えてレコードのA面B面をひっくり返してかけたのだ、と面白おかしく言ったのがひとり歩きした」と、テーマ曲は番組開始前から決まっていたことを明かした。都市伝説の通りではなかったのだ。
上柳氏は、50年間ずっとテーマソングを変えずにやってきて、「今でも若いパーソナリティの方が第1回の放送の時に『僕がこのビター・スウィート・サンバに乗せて喋れることが嬉しい』と言っていただけるのは嬉しい」と述べた。
しかし、嬉しい反面、「『オールナイトニッポン』を超える何かを僕は36年間会社にいて、仕事仲間と一生懸命やってきたが、『オールナイトニッポン』を超えるものが作れていない」という悔しい気持ちがあることも明かした。番組に頼ってきたとのこと。
「僕達は『オールナイトニッポン』という大きな名前に甘えてきている。何とかしたい。もう1個、自分たちの文化を作りたいと思っても勝てない、乗り越えられない、という存在でもある」と「オールナイトニッポン」の存在の偉大さについて語った。

上柳氏はニッポン放送に81年に入社後、土曜日の宿直を何年もやっていた。
ラジオ局は小さいため報道部の向こうに笑福亭鶴光師匠のスタジオが見えたとのこと。そして、「時々、どういう企画かは覚えていないが、裸の女の人が行ったり来たりしていた」ことを明かし、「ラジオ番組だから意味はないと思うのだが、裸の女の人がスタジオに入って何かワーワー騒ぐ」ところを収録していたという。一方で、その様子を知り「土曜日の夜中に何でこんなに社内に人がいるのだというほど人が集まってきた」と当時の様子を明かした。
そのようなことがあった一方で、今ではテレビでも放送されている「イントロクイズ」は鶴光師匠の「オールナイトニッポン」から出てきたものであり、この歌はこんなふうに聴こえるというものは「空耳アワー」になっている。「エロの番組と本人も言うが、実はヒット企画がある」と上柳氏は述べた。
タモリと鶴光師匠は出来レースのようなものではあったが、ライバル心を持って番組を担当されていたとのこと。

上柳氏は、中島みゆきの代わりに代打として担当をしたことが何度もあるという。日航機墜落事故の時、中島みゆきの放送がたまたま録音だったのだが、オープニングで札幌に帰る飛行機のチケットが取りにくかったということを話したらしく、中島みゆきから連絡があり「その録音は流さないで」ということがあった。
そして急遽、二部の担当だった上柳氏が、1時〜5時まで斉藤安弘氏と一緒に特番をやった。しかし、何の情報もない。ニッポン放送のラジオカーという放送ができる車が情報を頼りに群馬県や長野県など方々を走るが、何も分からないという状況の中で、上柳氏はスタジオで約520人の乗客名簿をずっと読み上げた。放送が終わって制作部に戻った時に、フジテレビの映像で事故の場所を知ったという。
「あの夏は忘れられない」と1985年8月の日航機墜落事故の記憶を語った。

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