新・週刊フジテレビ批評

The 批評対談

W杯で伝えたこと 伝えられなかったこと

DATE : 2014.07.19(土)

CATEGORIES : | The 批評対談 | 報道・情報 | スポーツ | アナウンサー |

サッカー解説者でスポーツキャスターでもある永島昭浩氏は、日本代表の大会直前の練習試合を見て「日本代表は残り10分でいい試合をしていた。だから良い成績を残せるのではと思った」と語った。しかしW杯では「相手から研究をされた。さらに日本代表が練習していた場所と試合する場所の温度差が激しく、選手たちのコンディションが悪かったが、臨機応変に対応が出来なかった。通常の試合前日に現地入りするのではなく、何日か前に入るなどの対応が必要だったのでは」と分析した。「試合でも、状況に応じて選手たちが自分たちのサッカーを変えないといけなかった」と指摘した。
「日本サッカー協会は“2050年までに世界一"の目標を掲げている。その為にも選手が成長することは勿論、何がダメで何が必要なのかを分析していかなくてはならない」と語った。

A サッカー解説者で意識していること
分析することが得意だと自己分析する永島氏は、「映像とリンクしながら解説するのは大前提で、映像には映らない解説もしていきたい」と語った。そして解説をするにあたって今でも教訓になっているというのが、スーパーニュースで安藤優子キャスターから「わからない、わかりやすく」と言われたことだったという。「視聴者がサッカーを好きになってくれるように配慮することが大事だと気が付いた」という。そして「サッカーが好きな人だけが見ているわけではないので、色々な人に興味を持って貰うために様々な情報を持って解説に望んでいる」と語った。


Bサッカーとテレビの未来
今後、日本サッカーのレベルが上がって行くためは、指導者の育成が大事だという永島氏。「メンバーが変われば戦術も変わる。臨機応変さを持つことが必要だ」と語った。
「負けた瞬間、手のひらを返したように報道したメディアの責任は?」というTwitterの意見に対し、永島氏は「勝った時に何が良かったと褒めるのも大事だし、負けた時にしっかり叩いて何がダメだったのかを伝えることもメディアの役割だ」と語った。


@ブラジルW杯の総括
GUEST PROFILE
永島昭浩 スポーツキャスター
1964年 兵庫県出身
Jリーグ開幕時に、日本人初のハットトリックを達成。また、オールスターMVPを獲得するなど、勝負強いストライカーとしても有名である。
阪神大震災があった1995年にはヴィッセル神戸に移り、J昇格にも貢献。
その後も「ミスター神戸」として、チームを牽引。
2000年に惜しまれつつも現役を引退した。
2003年〜2008年まで、JFAアンバサダーとしてサッカーの普及に大きく貢献。現在も、後進の指導に携わるとともに、スポーツキャスターとしてテレビ・トークショーなどマルチに活躍中。

COMMENTATOR
稲増 龍夫 法政大学社会学部教授

 

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