新・週刊フジテレビ批評

クリティックトーク

「27時間テレビ」とフジテレビ”笑いのDNA”

DATE : 2012.07.07(土)

CATEGORIES : | Critique TALK |

三宅氏は「今回もたけしさんにやっていただけるということで、もしかして
BIG3が久し振りに揃うのではないかということでそれを皆さん期待していただいていいんではないかと。あまりハッキリとは言えないが、当日のお楽しみということで。」と話した。

    「27時間テレビ」が始まったきっかけについて、三宅氏は「25年前に、フジテレビがフジネットワーク、FNSの北海道から沖縄までの各局でひとつの番組ができないだろうかと提案された。当時は日本テレビで『24時間テレビチャリティー』があったので、フジテレビでやるなら同じことはできないので、お笑いでやろうと。当時は『MANZAI』ブームの後、『オレたちひょうきん族』、そして『笑っていいとも!』が盛り上がった時代なので、今年と同じように『いいとも!』のレギュラー陣で作ろうということで、タモリさんと当時『いいとも!』のレギュラーだったさんまさんで、ばかばかしいお笑いでやろうというコンセプトで作り上げていった。今でもそうだが、お祭り騒ぎが好きなフジテレビだからという感じ。」と語った。

 稲増氏は、「あの当時の視聴者の実感としては、日本テレビに対する壮大なパロディーだったのかなという感じ。」と話した。

 三宅氏は「もちろんそのつもりはあった。日本テレビがずっとああいう形でやってるので、我々はそれを全部笑いにしようという、ですから1回目に本当に小さいお子さんが1円玉や10円玉をビンに入れて持ってきたりもした。」と話した。

 第1回の総合演出を担当した三宅氏は、「ひょうきんディレクターズで作っていて、途中変わろうという話になっていたが、結構24時間出来てしまった。
プレッシャーなどが一切なく、それは制作だけではなく、営業でコマーシャルをどうするか、技術部門だと各局の中継をどうするかとか、みんな何か新しいことに向かっていく、作り上げていくという気持ちの方が大きかったから、つらいといったことはなかった。」と語った。

 稲増氏の「最初から毎年やる予定だったのか?」と質問に対し、三宅氏は、「全然そんなことはない。その時1回だけのつもりでみんな作った。今でも破られていないが、平均世帯視聴率で驚異的な19.9%という数字をとったので、2回目以降もやろうという話になった。」と答えた。

 三宅氏は「最初の3〜4年は、『いいとも!』『ひょうきん族』のスタッフで作ったが、その後、アナウンサーみんなでやろうとなって、この時、フロアーディレクターをやっていたが、11.7%まで視聴率が落ちた。やはり有名人じゃなければダメだということで、桂三枝さんをメインに『クイズ年の差なんて』のチームで作った。それから、たけしさんがやっていた『平成教育委員会』のチームが作った。そして、11回目からお台場に移ったので、オープニングで船で来ようとしたが台風で来られなくなって大変なことになった。絶対行われるはずの名古屋ドームでの野球中継が台風で中止になって、さあどうするかというのでダウンタウンがゲームをやった。こういうことが起きるのが『27時間テレビ』の生放送の面白いところ。そうやって、みのもんたさんにやっていただいたり、SMAPの中居正広さんとナインティナインで『めちゃイケ』チームで作ったりとか、だいぶ最初の頃の想いとはチームによって変わってきたことはある。いまだ話題になる車庫入れは偶然で、車庫入れをやろうと思ってやったわけではなく、たまたまさんまさんが免許をとって、たけし、タモリ、さんまのBIG3でミニゴルフをやろうというのはあったが、その時にたけしさんにさんまさんが免許をとった話をしたら、『面白いからブロックで車庫を作ったらさんまに車庫入れさせたらぶつけるだろう』という話になった。タモリさんにも同じ話をしたら、同じように『車庫入れさせたら面白い』となって…。さんまさんには伝えなかった。番組の流れでそういうふうになったらいいなということで、逸見政孝さんにうまく外にもっていくようにしてもらうと、車があったという形にしてもらったら、それで盛り上がったので、その翌年はさんまさんが仕返しをしようとする設定にして、逆にまたやられるという流れが出来てくる。その流れを作ることをやるのがディレクター。」と話した。

 「27時間テレビ」の笑いに必要なキーワードを三宅氏に挙げてもらった。それは「テレビはドキュメントである」というもの。これについて、三宅氏は「1回目もそうだったが、『車庫入れ』もそうだが、台本には書いてない。こうなればいいなという流れはあるが、その場の空気でああいう形になって、これはまさにドキュメントであったり。1回目の放送で、全国から中継をしたが。片岡鶴太郎さんが九州の島から中継があった。それがたまたま台風で帰って来れなくなって、それがどうなっているのか、今みたいに携帯電話がない時代だったので、羽田空港に帰ってくるというので中継車を置いていたが、全然着かない。それで、タモリさんとさんまさんが着かないね、と言ってるだけで、何もない空港の画を撮ってるだけの何十分かが20数%をとった。それで、よく言われることだが、テレビの持つ一番の強みはドキュメント性で、バラエティの笑いでもやはりドキュメントだと教わった。みんな心配だから台本を作るのだが、でも起きてることが面白かったら本来はそっちにいけばいいはずだが、みんな不安だから台本に戻そうとする。もちろん、台本通りにやれば80点はとれるが、120点の笑いをとるためには、ドキュメント性というかその場で起きてる何が面白いかという判断に委ねないと120点はとれない気がする。それが笑いの人たちがよく言う『笑いの神が降りてきた』というのと同じような現象をドキュメントの感覚があれば伝えられると思う。」と語った。

 稲増氏は「メディア論的に言うと、マスメディアと呼ばれているもので新聞、雑誌、映画も全部完成して初めて見せられる。テレビだけが今ここで起こっているというのを見せられて、尚且つ、それでもテレビは最初の頃は新聞や映画の影響を受けて、完璧なものを見せる。お笑いの人でも、完璧にして初めて見見せるんだと。ところが、フジテレビが80年代からNGを流すようになった。あれは本来見せてはいけないもの。それが視聴者にとっては逆に新鮮な驚きがあって、あの意識変革みたいなものがテレビというものの本質を捉えていたと、我々メディア論者からすると感じている。」と話した。

 三宅氏は「それはドキュメントの笑いというのが、私がまだADだった時に、『欽ちゃんのドンとやってみよう!』という番組で萩本欽一さんが用いた、その場で起きている、オチではなくてその過程までも面白ければ、それを伝えていくというお笑いを初めて作ったのではないかと思う。」と話した。

 稲増氏は「いや、その上失敗、NGまでも見せた。今でもNHKはNGを流さない。NGまでも見せてしまうというのは非常にテレビ的だと思う。本来あってはならないものを見せたことで、でもそれを見ている人たちは面白がってそこを捕まえたというのは視聴者の感覚を捉えていたと思う。」と話した。

 フジテレビの"笑いのDNA"について、三宅氏は「私が萩本欽一さんから『欽ドン』で教わったときは、先輩の常田久仁子さんや竹島達修さんという制作者が萩本さんと作っていて、その教わったことを、例えば『ひょうきん族』だとたけしさんやさんまさんと僕らで一緒に作って、その下にいくと『めちゃイケ』を片岡飛鳥が演者さんと一緒に作って、ダウンタウンと吉田正樹が一緒になって作っていく、その下にいくと渡辺琢が『ワンナイR&R』を雨上がり決死隊やガレッジセールなどと一緒に作っていく。今でいうと、『ピカルの定理』が演者さんと制作者が一緒になって作っていくという形がまだ残っているのがフジテレビのDNAではないか。」と話した。


■ゲスト
三宅恵介 フジテレビ・エグゼクティブディレクター

■プロフィール
1949年東京都生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、1971年当時のフジポニー(フジテレビ制作子会社)に入社し、フジテレビに転籍。1975年より、萩本欽一司会のバラエティ番組「欽ちゃんのドンとやってみよう!」のスタッフとして本格的にバラエティ番組の製作に参加。以降、「オレたちひょうきん族」や「笑っていいとも!」「いただきます」「あっぱれさんま大先生」「平成教育テレビ」など数多くの番組を演出、現在に至るまでバラエティ番組制作一筋。
「オレたちひょうきん族」では、他のディレクターたちとともに「ひょうきんディレクターズ」と称して番組に出演。レコードまで発売した。
「27時間テレビ」においては、1987年(第1回)、2008年(第22回)の総合演出の他、コーナー担当や監修を何度も務めている。
現在は、「ごきげんよう」「はやく起きた朝は…」のチーフプロデューサー。

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