3月30日生まれのミュージシャン
※各ミュージシャンの誕生日は国内外のサイトでチェックしておりますが、ミュージシャンの誕生日には諸説異なる日付が存在する場合があります。ご了解ください。
Eric Clapton / エリック・クラプトン
60年代、まだデビューしたばかりの時点で
クラプトンは早くもギタリストとして神格視されるまでの存在であった。しかし、そこから来るプレッシャーや、あるいはドラッグやアルコールへの深い依存、度重なる悲劇といった事柄が、彼の創造性を妨げることはなかったのである。最初に評価されたのはその驚異的な速弾きだったが、「クラプトンは神だ」という有名な賛辞を生むことになった最大の要因は、言うまでもなく彼自身のソウルフルなブルーズにある。60年代を通じて、後のロック・シーンに強い影響力を与えることになる著名なクラシック・ロック・バンドをいくつも渡り歩き、その活動を通じて
ジェフ・ベック/ジミ・ヘンドリックス/ジミー・ペイジ/ジョン・マクラフリンといった優れたギタリストたちと親交を重ねた
クラプトンは、その後ソロ活動を開始。すかさず大きな成功を収め、やがてヴォーカリスト/バラード・ライターとしての才能も開花させていった。
フレディ・キングのプレイから多くを吸収しながらもブルーズの可能性を広げる新しい演奏スタイルを次々と生み出してきたクラプトン――リズム&ブルースの世界にクロスオーヴァーするヒット曲を数多く輩出し、アンプラグド・スタイルでもシンガー・ソングライター的世界を展開。さらには匿名のトリップ・ホップ・プロジェクトにも取り組んでいるというから、なんとも素晴らしいではないか。[リッスンジャパン]
1945年、イギリス、サーレー州リプリーに生まれたギターの神様。彼に影響を受けて、世界中の少年がギターを始めた。
1970年には、
デラニー&ボニーや
レオン・ラッセルとともに初のソロ・アルバムを制作。さらに
“デレク&ザ・ドミノス”を結成し、歴史的名盤
『レイラ』を世に送り出す。
1989年、アルバム
『ジャーニーマン』発表し、ここに収められていた
「バッド・ラヴ」によって、個人としてはじめてのグラミー賞を獲得する。 [OnGen]
Celine Dion / セリーヌ・ディオン
いまさら多くを語る必要もないほど、世界中のリスナーに支持されている
セリーヌ・ディオン。やはり、
97年に公開された
『タイタニック』のテーマ曲
「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」が彼女の人気を決定づけたといえるだろう。
68年カナダのケベックで、14人兄弟の末っ子として生まれた彼女は、両親がフォーク・ミュージシャンで兄弟全員がなんらかの楽器を弾きこなすという音楽一家の中で育ち、当時から抜群のヴォーカル・センスを発揮していた。
81年のデビュー・アルバム
『D'Amaur Ou D'Amite』は、カナダ/フランスでゴールド・ディスクを獲得。その後、ジュノー・アワードで同郷の
デヴィッド・フォスターの目に止まり、
90年に初の英詞アルバム
『ユニゾン』でインターナショナル・デビューを飾った。キャリア、セールスとも順調に推移させるうち、ディズニー映画
『美女と野獣』のテーマ・ソング
「ビューティ・アンド・ザ・ビースト」を
ピーボ・ブライソンとデュエットし、アカデミー、ゴールデン・グローヴ、グラミーの3大タイトルを受賞。以降、3rdアルバムからのシングル
「ザ・パワー・オブ・ザ・ラヴ」はビルボード・チャート3週連続1位、イギリスで
「シンク・トワイス」がシングル・チャートNo.1に輝き、日本でのみリリースされた
「トゥー・ラヴ・ユー・モア」も130万枚以上のセールスを挙げている。そして先述の
「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」の世界的ヒットによって人並はずれた歌唱力を決定的にアピールしたのだ。――このようなビッグ・ヒットの背景には、プロデューサーをはじめとするミュージック・ブレーンの功績も大きいが、彼女のハイトーン・クリアー・ヴォイスが最大の要因なのは言うまでもない。多忙を極めていた彼女だが、「ショウ・ビジネスがすべてではない」と夫の介護、出産/育児のため一時休業、家庭を非常に大切にする一面もうかがわせた。そして、
02年3月、アルバム
『ア・ニュー・デイ・ハズ・カム』で復活。エレガントで上品な、ポップス界のお蝶夫人として君臨し続けている。[リッスンジャパン]
BENI(安良城紅)
母親が沖縄出身の日本人で父親が米人というハ−フ娘。「第 8回国民的美少女コンテスト」へ応募したことをきっかけに、その天性の歌唱力が評価され、芸能界へと進出。
'03年に、
美少女クラブ21のメンバ−として、デビュ−。
'04年にはシングル
『 Harmony』を発売し、ソロ・シンガ−としても活動をスタ−トさせている。幼少の頃からSOUL/R&Bを好んで唄い続けてきただけあり、抑揚と深みを持った歌声には天性の光が宿っている。[Mora長澤智典]
まずはその美貌に目を惹かれ、次いでその歌声が耳をトリコにする。ネイティブ・イングリッシュを武器としたヴォーカル・ワークも見事な、女性ヴォーカリストとしての当代随一のポテンシャルをもつ
安良城 紅。アメリカ人の父親、日本人の母親の間に生まれた彼女は、6歳までカリフォルニア州で過ごし、帰国後は横浜に在住。16歳で全日本国民的美少女コンテストに出場すると見事本選に進出、同コンテストの入賞者によって結成されたアイドル・グループ、美少女クラブ31ではセンター・ヴォーカルを担当していた。そして
04年にシングル
「Harmony」でソロ・デビュー。続く2ndシングル
「Infinite...」は朝本浩文、
05年発表の5thシングル
「光の数だけ、グラマラス」は福富幸宏が手掛けるなど作家陣も豪華。1stアルバム
『Beni』(05年)では自ら作詞に挑戦し、3rdアルバム
『GEM』(07年)では作曲も行っている。同年7月には初のソロ・ライヴを敢行するなど、彼女のアーティストとしての輝きは年々増していくばかりだ。[リッスンジャパン]
86年、神奈川県生まれ。沖縄出身の母親とアメリカ人の父親のハーフ。
02年、第8回国民的美少女コンテストの最終選考に残り、
“美少女クラブ21”のメンバーとなる。
04年1stシングル
「Harmony」でソロデビュー。美貌もさることながら、透き通るような声が注目を集め、
10月に
「Infinite...」、
11月には
「Here alone」と立て続けにシングルをリリースし、スマッシュヒットを記録。
05年2月には、1stアルバム
「Beni」をリリースした。また、
05年1月には、コーセー“VISEE”のイメージ・キャラクターに選ばれるなど、タレントとしての活動も注目されている。 [OnGen]