第3章 神湊 5
「えっ、神湊がですか?」
山上の言葉に思わず須佐は叫んだ。
「そうなんです。私はここ神湊という地が、魏志倭人伝(ぎしわじんでん)における末盧国(まつらこく)にあたると考えているんです」
「えっ、末盧国は佐賀県の東松浦半島ではないのですか?」
須佐は思わず聞き返した。
「東松浦半島が地名的にも似ているし、漢委奴国王(かんのわのなのこくおう)の金印が発見された志賀島(しかのしま)の近くである博多にも那の津(なのつ)という地名があり奴国(なこく)と比定しやすいということから、末盧国は東松浦半島だとするのが通説になっていますよねえ」
「そうですよねえ。私も学校でそう習いました」
鈴木の須佐を支持する言葉にロケスタッフたちもうなずいた。確かに学校の歴史の授業では邪馬台国は畿内説や九州説などがあるとしてあいまいにしている割りには、末盧国は東松浦半島だと断定的に教えている。
「しかし、志賀島で出土した金印は、後漢の時代にもらったものです。『後漢書東夷伝』(ごかんじょとういでん)には『その後倭国は大乱し』と書いているではないですか。だからそれより2世紀ほど後の三国時代の魏の時代には、邪馬台国連合の国々の位置が移動していてもおかしくないのです。私はいろいろと調査してみて、邪馬台国連合は東遷(とうせん)したと考えているのです。そして、魏の使いが来た頃の邪馬台国は宇佐にあったと私は唱えているのです」
「そうすると末盧国も東遷したと考えられるんですね」
鈴木の質問に対して山上はすぐさまきっぱりと答えた。
「もちろんです。この神湊辺りに移動して来たと思われるのです。そもそも魏志倭人伝に書かれている距離と方角は正しいものだとして、私は説を立てました。それに比べて学者は皆自分の比定する場所に邪馬台国を持って来るために、やれ方角が誤っているとか、やれ距離が間違っているとか、自分の都合の良いように魏志倭人伝を勝手に解釈しています。私はその横暴な態度が許せないのです」
「僕もそう思います」
山上の学者批判に賛同し、須佐は思わず声を発した。確かに学者連中は我田引水のために、魏志倭人伝を勝手に曲解して邪馬台国を比定する説を展開している。
「魏志倭人伝によれば、魏の使いは帯方郡(たいほうぐん)から南東に水行(すいこう)七千余里で狗邪韓国(くやかんこく)に着き、そこから水行一千余里で対馬国(つしまこく)、さらに南に水行一千余里で一大国(いきこく)に着いています。対馬国は対馬、一大国は壱岐と考えてまず間違いありません。次に魏使一行は水行一千余里で末盧国に上陸しています。ただし方角は記載されていません。通説では末盧国は東松浦半島となっていますが、距離的にはちょっと近すぎます。でも神湊だと一千余里という距離にぴったりなんです」
山上の説明を聞いて須佐は地図を取り出して見てみた。そして親指で壱岐を押さえて人指し指で対馬を押さえてからコンパスのように親指を支点にして回転させてみた。そしてうなった。
「なるほど。言われてみるとその通りですねえ。神湊だと対馬・壱岐間の距離に近いですねえ。逆に東松浦半島だと半分ぐらいの距離ですから五百余里じゃないとおかしいですねえ。距離的には神湊の方がぴったりですね」
須佐の言葉にロケスタッフも須佐の持っている地図を見ながらうなづいた。
「でもそれだけでは神湊が末盧国と比定するのには弱いんじゃありませんか?」
鈴木の疑問に山上はまたしても即座に反応した。
「姫、そして皆さん、この玄海灘を御覧下さい」
山上の言葉に須佐たちは海の方を見た。冬の玄海灘は波が荒れている。
「皆さん、魏の使いがやって来た季節はいつだと思いますか?」
山上の問いに須佐が答えた。
「魏志倭人伝には『草木茂りて盛ん、行くに前人を見ず』と書かれているので、夏だと思います」
「そうです。さすが須佐さん、勉強していますねえ」
「いやあ、昨日の夜ちょっと魏志倭人伝のおさらいをしておいたからですよ」
須佐は先生に誉められた生徒のように照れながら言った。
「目の前のこの海を見ても冬の荒波の中にやって来るのは危険だと思えるでしょう。台風にさえ遭遇しなければ、夏の穏やかな海を航海して来るのが安全なのです」
波が高い海を見ながら一同は山上の説にうなづいた。
「また潮の流れから考えても、魏の舟が神湊にやって来るのは自然なのです。むしろ古代は絶壁だったと推定される東松浦半島に上陸したと考える方が変なのです。古代航海術の研究の権威である東京商船大学の茂在寅男(もざいとらお)名誉教授に伺ってもそのように言っておられました。この方は権威のある学者であるにもかかわらず、文献よりも現地へ行って自分の目で確かめるといったスタンスを貫いている方で、私が認めている数少ない学者です。茂在先生は弥生式土器などに描かれている絵などから、当時の魏の使いが乗って来た舟は双胴の丸木舟だとお考えのようです。その双胴船が、夏の穏やかな日に潮の流れに乗って神湊の砂浜に上陸すると考えた方が、理にかなっているのです」
山上の説明に、須佐は弥生時代の人間が双胴船で玄海灘を航海している様子を頭の中に思い浮かべた。さらに山上は続けた。
「しかも私はここ神湊が末盧国だと言える大きな証拠を今回発見したのです!」
一際大きくなった山上の声に一同は一斉に注目した。







在野 | 2010年01月10日(日) 20:50
「末盧国」の前評判と、
畿内説否定の書き込みが多すぎるような・・・
紐解いていけば自然とわかる事。
殺人事件の方がどう末盧国と絡んでくるのか??
ミステリーの仕掛けが見もの!
是空 | 2010年01月07日(木) 18:10
高知にも電車の停留所にまで書かれた高天原があります。
詳しくは知りませんが・・父の友人が夢中になっていたことを半世紀前に聞きました。
その方はすでにおいでませんので確かめようが無いのですが・・・
ゆう | 2010年01月07日(木) 09:18
gooに書き込みがありました。
本当ですか。
清水Pさんに感謝します。
姫島の住民 | 2010年01月07日(木) 06:35
邪馬台国は、九州ですよね。
趣味人倶楽部の書き込み見てきました。
大分出身 | 2010年01月07日(木) 06:32
本当ですか?
末盧国の物的証拠。
信じられないな。
疑心暗鬼 | 2010年01月07日(木) 06:28
1月8日がまちどおしいわ。
宇佐神宮でみやげ物店を手伝っています。
邪馬台国は宇佐ですよね。
花岡 良子 | 2010年01月07日(木) 06:24
嬉しいです。
大分の豊後高田に住んでいます。
畿内説をぶっとばせ〜〜
とも子 | 2010年01月07日(木) 06:20
大分県人としてわくわくします。
畿内説はどうしても納得いきません。
加治 誠 | 2010年01月07日(木) 06:17
1月8日に末盧国の決定的物証が写真ででるのですよね。
待ちどおしいわ。
章子 | 2010年01月06日(水) 22:00